甘さと悲しみとサラダ

私が短歌を始めたキッカケは、「発作的」相聞歌(恋愛の歌)だった。
甘く楽しいデートも終わりに。
駅の改札口でじゃあねバイバイをして、ひとり乗り込む電車の中。
そしていつものように「今日は楽しかったね」というメールをしていた。
デートの様子を思い出しながら文章を打っているうちに、ぽわわーんと「好き」という気持ちが風船のようにふくらんできた。
あぁ、この気持ちを伝えたい!と思って、メール本文の最後に一首つけたのが最初だった。

そのとき、なぜ短歌だったのかは自分でもわからない。
だって、それまで短歌を詠もうと思って詠んだことなんてなかったから。
最後に短歌をつくったのは、たしか高校の修学旅行の思い出冊子を作ったときだったと思う。
じゃあ、なんで急に57577?
今思うに、多分、照れ隠しだったのだろう。
そのまま言うと気恥ずかしいけれど、短歌をいう形を借りて伝えれば言えた気持ち。

彼はすごく素敵な人で、私の短歌に返歌をくれた。
それからごくたまに、メールで短歌を送るようになったと記憶している。
そのたびに彼は返歌をしてくれた。
私にとって短歌は、コミュニケーションだった。

連作の形となる短歌を詠み始めるキッカケとなったのは、その人と別れたことだった。
大好きだったからすごく悲しくて、なかなか気持ちの整理がつかないでいた。
そんなとき、たまたま俵万智さんの『サラダ記念日』を読んだ。
すると触発されたように、彼との楽しかった思い出やつらかったこと、いろんな思いがどんどん短歌となって出てきたのだ。
毎夜毎夜のめり込むように詠んでいくうちに、次第に自分自身の実体験から離れた、個別の物語になっていった。

短歌は不思議だ。
つくっていると夢中になってしまう。
言葉を組み立てるのが好きなのだろう。
そんなこんなで、「短歌と私」の今の関係ができたのだ。うむうむ。

2003年11月30日

短歌の世界をノックして

先日、ある知人に「川柳も短歌も同じですよー?」と言われて、少しがっくりしてしまった。
形式も方向性も全然違うのに。
でも興味ない人には、多分、どっちも同じなんだろうな。

短歌をつくり始めて思うことは、短歌はまだまだ閉じられた世界だということ。
比べること自体に問題があるかもしれないけれど、映画や小説やマンガのようには開かれていない。
ネット短歌という言葉が出てきて、今まで(結社など)とは違ったルートで短歌に触れる人が多いと言われている。
けれど、詩的なものにまったく興味を持たない人が、短歌に触れるキッカケはまだまだ少ないと思う。
短歌と俳句と川柳の違いがわからない人の方が、世の中、断然多いはずだ。

私も短歌を詠み始めなかったら、歌集を読んでみようとは思わなかったろうし、書店で短歌雑誌を手に取ることもなかったと思う。
入門書のような本を読んで短歌のことを少しは学んだと言っても、やっぱり文語体の短歌は読解できない。
興味がない人にとっては、文語体の短歌はまるで異世界のものだろう。
短歌雑誌を読んでも、内容がいまいち難しくてわからない。
学術書を読んでいるような気持ちになる。
もっと平易な言葉で書かれていて、ふと目にとまってペラペラとめくりたくなるような、そんな短歌雑誌があればなぁ。

短歌は、つくる人と読む人と批評する人がみんな歌人だという。
ひとつの閉じられた世界で、ぐーるぐるしているイメージ。
つくるのにも読むのにも批評するのにもスキルが必要だなんて、そりゃあとっつきにくいと思う。
小説や映画やマンガならそうではない。
読んだり観たりするのは、娯楽であり個々人の楽しみであるべきだ。

57577はすごく短い。
普段小説を読まないような人にも、本当は受け入れやすいはずだ。
一首一首の行間に感じ取ってもらいたい思いを込めて、ストーリー短歌をつくろうと思う。
奥が深い短歌の世界。伝統があってこそだ。
でもその扉をもっと薄く軽く、そしてもっと大きくして、いろんな人にノックしてもらいたい。

2003年11月29日

ちょっとした予知能力

ある休日の午後、私は友達と一緒にだらりとテレビを眺めていた。
そんなとき、ふと友達の顔を見て口から出た言葉。
「地獄の黙示録…」
フランシス・コッポラ監督の映画史上に残る名作のタイトルである。
なぜそんな言葉が出たのか自分でもわからないが、その瞬間思い浮かんだフレーズなのだ。
そしてその数時間後に、「BSで『地獄の黙示録』が放映される」というCMが流れた。
はっ!さっきのってもしかして、予知能力?

また違う日、私はてくてく夕方の道を歩いていた。
そのとき浮かんできた歌が、ツイストの『銃爪』
tonight tonight歌って歩いた。
その夜、あるテレビ番組のゲストとして世良公則が出演していた。
はっ!もしかしてやっぱり、予知能力?

ただの偶然なのかもしれない。しかしすごい確率ではないか。
数限りなくある映画の中で、『地獄の黙示録』を選択する確率。
さらにその映画がこの時期放映される確率。
そのCMが流れているときにテレビを見ている確率。
同じように、『銃爪』だって、数日前にどこかで聞いたということもないのに、だ。
リアルタイムで親しんでいるわけでもないツイストの曲を、なぜノリノリで(歌詞は適当に)口ずさんだのか。

ねぇ、不思議じゃないですか?そうでもないですか?
しかしいきなり顔を見られて「地獄の黙示録」とささやかれた友達は、かなり不可解に思っただろう。
自分と地獄との接点を見出されたのかと不安にもなるかもしれない。
(友へ:そんなことないよ。天使ってわけにはいかないけど、悪魔って感じでもないからさ。ドンマイ!)

ちょっとした予知能力の発見。
こんな経験、みなさんはあるでしょうか。
これが予知能力でないとすれば、マトリックスなのかもしれないぞ。
そんなことを考えながら、生きている。

2003年11月20日

雨の中の決闘

私はいま、母校の大学でアルバイトをしている。
大学は県内ながら自宅とは他市にあり、私は電車で通っている。
普通電車で往復2時間の距離だ。

先日の帰り道でのこと。
その日、電車の時間に間に合わなくなりそうだった私は、足早に駅へと向かっていた。
すると突然、雨が降り出してきた。
私は傘を持っていなかったので、少しでも濡れまいと走ることにした。
小雨に打たれながら走っていると、なぜか隣に並行するように走る少年が現れた。
小学校低学年と見た。
塾の帰りだったのだろうか。ランドセルは背負っていなかった。
彼は確かに、私を意識して走っていた。
こちらのスピードを気にしているようで、何度もちらちら見ていた。
攻防は横断歩道3つ分ほど続いた。

なぜ夕闇の中を、少年とかけっこをしなくてはならない?
そんな一方的な挑戦状を受けるわけにはいかない。
だって私は大人なのだから。
しかしいくらこちらがマイペースに走っていても、彼はつねに私より少し前を走っていたがった。
だんだん、成人女性であるさすがの私もむきになってきた。
負けない!とりあえず子ども相手には!
そこである作戦に出た。
一度少年を抜き去り、黄色信号になった交差点の手前で、まるで止まろうとしているかのようにスピードを緩めた。
少年が私に合わせてスピードダウンをしたのを確認して、もう一度全速力で交差点を渡ってやった。
後ろを振り向くと、赤信号の下、ひとり取り残された少年が立っていた。

そして私は、ゆるい敗北感を抱えたまま、湿度の高くなった電車に揺られて家路についたのだった。

2003年11月15日

整理整頓の鬼

私は「整理整頓」が得意だ。
これは人に褒められる自慢の特技と言える。
いや、特技というより、趣味の域に入ると思う。
何かをきれいにカチッと整頓された状態にするのが好きなのだ。

特にお気に入りなのが、書類のファイリングだ。
かさばる紙の束を情報ごとに区分して、その厚みと用紙サイズに合ったファイルをそろえ、「取り出しやすく・見やすく」を心がけつつ書類を並び替え、見出し用紙を挿しいれながら収納する。
そして空間をいかに有効活用するか考えながら、棚にファイルを立てていく。
あぁ、なんて楽しい作業だろう。

「分類すること」と「整列させること」が、私の少し神経質な性分に合っているようだ。
情報や物がちらかっているとなんだか気持ちが落ち着かず、モヤモヤしてしまう。
本棚に一冊だけ上下逆に入れられている本などを発見すると、何か別のことをしている最中であろうと気になって直してしまう。
ビデオテープのラベルシールは、すべて同じ高さにまっすぐ貼れるように最大限の注意をはらう。
だからと言って、潔癖症だとか掃除好きだとかいうわけではない。
カオスの中に秩序をもたらすことが楽しいのだ。

そんな整理整頓に対する愛と工夫をかわれて、大学時代には研究室の片付けのアルバイトをしていた。
担当教官の研究室だったのだが、この教官というのがまったく整頓スキルのない人だったので、私の仕事は数限りなくあった。
体力的にも大変な仕事だったが(紙も棚板も重いんだもん)、ちらかっていればちらかっている分、達成感と爽快感は格別であった。
好きこそものの上手なれ。

そして今月、臨時アルバイトとして再び雇われたのである。
こうして整理整頓の鬼となる日々が舞い戻ってきた。
実に順調に、作業は進んでいる。

2003年11月15日

空想発明品『霊験あらたかフォン』

「こんな商品があったらいいのでは!」
私はたまにピコーンッと新発明を考えつくことがある。
その度にノートにイラストつきで書きとめておき、人に見せるのだが、どうも心証が悪い。
自分なりには、「便利」かつ「現代社会に合っている」と思われる商品の数々。
需要だって見込めるはずなのに。
どうなのでしょう、みなさん。
ちょっと紹介してみるので、商品化したいという方はお知らせください。
今回自信を持ってオススメする空想上の発明品、それが『霊験あらたかフォン』である。





みなさんはお守りを持った経験はありますか?
神社にお参りに行った際に購入したり、もしくは誰かにもらったり。
受験のときの神頼み、交通安全、家内安全、健康第一…
しかしそのとき買ったお守り、今でも持っていますか?

お守りは肌身離さず持ったほうが、ご利益あるとはわかっていても、実際にはなかなか持ち歩き続けるのは難しいですよね。
そこでご紹介するのが、この『霊験あらたかフォン』!
なんと神社・寺院でご祈祷済みのお守り携帯電話なのです。
「お守りと携帯電話を組み合わせる」というアイディアには驚かれるかもしれませんが、考えてみてください。
現代人が肌身離さず持ち歩くもの、それこそ携帯電話!

『霊験あらたかフォン』の最大の特徴は、豊富なバリエーションです。
お好きな神社・霊山、ご自身の宗派に合わせて、様々なタイプをご用意させていただきます。
お経が本体全体に書かれている機種は、ご贈答にも最適です。
また、着せ替えお札セットも別途販売いたします。

多くの災いからあなたを守ってくれること確実!
いまならなんと!着メロお経も無料配信!
もちろん、お好きな宗派をお選びいただけます。
ぜひこの機会に、新商品『霊験あらたかフォン』をお買い求めください。





商品化したいという方はお知らせください。

2003年11月13日

『ストーリー短歌』の限界と挑戦

見ていただければわかると思うが、私のつくる短歌は複数首でまとまったひとつの物語になっている。
これを心の中で『ストーリー短歌』とこっそりと呼んでいる。
私は短歌をつくり始めた頃から、「ストーリーを考える」→「そのときの情景を思い浮かべる」→ 「一首」→「さらにその続きのストーリー」→…の繰り返しでつくってきた。

しかしこのような連作の形には、短歌としての限界があることを知った。
ただの状況説明となっている短歌、一首一首の独立性がない短歌…
短歌を詠んでいる人から見れば、これらはたしかにつまらないと思う。
小説やエッセイとは違った、短歌特有の魅力を表現することができていないかもしれない。

でもでも、私はこれからもストーリー短歌をつくっていくだろう。
自分のこれまでの短歌を振り返って悩んだけれども、そう思った。
わかりやすくて感情移入のできる作品をつくりたい。
あまり短歌を読んだことのない人たちにも読んでもらえるように。
開き直りかもしれないけれど、そう考えている。

2003年11月7日

私とことりちゃん

私には愛らしい妹、ことりちゃんがいる。
普段の生活で私はことりちゃんに大変お世話になっている。日々。

私はわがままだ。
最近はいくらか自覚しているのでいいのだが(「いい」っていうわけではないのかな?)、以前はわがままを指摘されても「まっさかー。ご冗談を」と笑っていた。しかし本当にわがままらしい。
私は夜、ことりちゃんに布団をかけてもらっている。
もちろん毎晩ではない。
ここ、重要。私だって一応、れっきとした成人女性だ。
でもたまに誰かに優しく布団をかけてもらいたくなるってこと、誰にでもあるはず。

月1くらいの頻度で行われるこの儀式は、私の気まぐれからはじまる。
私が横になり「さあ、いいよ」と言うと、彼女は優しく静かに布団をかけてくれる。
たとえ勉強中でもだ。
さらに「寒くない?きちんと手を入れて寝るんだよ」と暖かい気遣いの言葉をかけてくれる。
この妹なくして、私は安眠もできないのだ。

そうしてかけてもらった布団を、一度(いや二度三度)暴れて乱すのが習慣だ。
寝たまま手足をばたつかせて、せっかくかけてくれた布団をぐちゃぐちゃにする。楽しい。すごく楽しい。
これら一連の行為が、私の心のバランスを取っているのだろう。
そんな姉の蛮行が終わると、ことりちゃんは、乱れた布団をかけ直し、私の腕を布団に入れ、「おやすみ」とささやく。

この子は多分、天使だ。
いや、いっそ生き仏だ。
おねえちゃんはおまえを愛しているよ。

2003年11月2日

祝・『ヒナウタ』スタート!

おめでたい。
サイトをこうして無事に開設することができたのだ、めでたいことだ。


ここまで来るのは長かった。
なんせ私はとにかく腰が重いから。
友達に「暇なら短歌サイトつくれば」と勧められてから数ヶ月、その気になってからまた数ヶ月。
いやはや、実に歩みの遅い人間である。

何がそこまで遅いのかと言えば、まず「サイトづくりのことを前向きに検討する」という気持ちになる時間が、一日の中でけっこう大きくなるのを待っていた。
自分の機運が盛り上がったところで、やっとコンテンツなり何なりを考え始めるようになる。
サイトデザインを話し合ったり、短歌を何度も推敲したり並び替えたり。
まとめるのは大変だったが、何かをぐるぐると考えて、いろんな案をこねくり回す行為は好きなので楽しかった。

さて、じゃあ次は文章(短歌以外の)を書こう、というところでまた足踏みが始まる。
ここも機運待ちなのだ。
はぁ、今この文章を書いている自分に乾杯。
ついつい見栄を張って、スマートな文章でかっこつけたことを書きたいと思ってしまう。それではいかん。
虚栄よ、さらば。ちんちくりんでも自分の言葉で書かねば。

そんなこんなで、今日のよき日を迎えたわけです。
今まで親しい友達にしか読んでもらっていない短歌を、より多くの人に読んでもらえるチャンスだと思うと、嬉しくてドキドキしてしまう。
「不特定多数の人々よ、こんにちは」の気分。
これからのヒナウタをよろしくお願いいたします。

2003年11月1日

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