固いパンを

来月1日に、夏のダンスパーティが控えている。
そして今回もやっぱり、ストレスで悪夢を見てしまった。
(関連記述:2003年12月21日付け)

どんな内容だったかというと…
パーティ当日、私は間違って他人のダンスシューズを履いてフロアに上がってしまった。
靴のせいか、踊りも全然だめで、先生もすごく怒っている。
ため息をつきながらロビーに出ると、化粧の濃い女の人が「私のシューズがないっ!」とわめき散らしていた。
もしやと思って、自分の履いている靴を確認すると、やはり私のものではない。多分、これのことなのだろう。
急いで返しに行こうとしたら、なんと彼女はすでに警察を呼んでいた。
しかも、警察官や刑事はひとりふたりではなく、ぞろぞろと捜査チームを組んでやってきたのだ。
関係者に聞き込みをしたり、指紋の採取まで始まっている。
私はその場を逃げるしかなかった。

ドレス姿のまま、ホテルの階段を駆け下りながら、私はシューズの隠し場所を探していた。
階段横にちょうどいい溝がついているのを見つけた。
よし、ここにしようと、おもむろに靴を脱ぐと、なんと靴はパンに変わっていた。
ライ麦の、杏の入った、固い大きなパンに。
なんで?なんで?と焦りながらも、2個のパンをギュウギュウと溝に押し込むはめになった。

なんとかダンスシューズ(ライ麦パン)を隠し、何食わぬ顔でパーティ会場に戻ろうとしたら、いつの間にか、 ロビーのあちこちに白い水たまりのようなものができている。
それが「バニラアイスが溶けたもの」だと気づいたのは、踏んでしまってからだった。
あっと思い、汚れた足の裏を見ようと身をよじった瞬間、私は白い靴下を履いた、小学生の男の子になっていた。
ベタベタの靴下に不快感を覚えたけれど、自分が男子児童になっていることには、さほど驚きはせずに。

うーむ、なんともシュールな夢だったなぁ。
変身願望?分析が難しいです、フロイト博士。

2004年7月27日

急ぐことを知らない女

私は電車によく乗り遅れる。
自宅から最寄りの駅まで歩いて5分という好条件でありながら、私は走らずに駅まで行ったことはない。
走るのがすっごく遅いのに。
あと50M!というところで、電車を逃してしまうこともちょくちょくある。
そのたびに、私はなぜ学習しないのかと、息を切らしながらホームでがっくりする。

時間に余裕があればあるほど、遅刻をしてしまう。
多分、適切な時間配分ができないのだろう。
まだ余裕あるなと思ったら、それ以降、すべての動作がゆっくりになってしまうのだ。
いろいろ身支度をして、気づいたら「あぁ!もうこんな時間!」
なので、私は支度にかかる時間ギリッギリに起床するようにしている。

しかし、ここもまた問題。
重要な用事がある日に限って、寝坊をしてしまう。
私は次の日にイベントが控えているとなかなか寝つけない。
「遠足の前の日の小学生」だった頃からだ。
本当に寝つけない。
どのくらい寝つけないのかというと、トイレに5回も行く(この場合、頻尿の疑いの方が強いけれども)ほどの時間だ。
ごーろごろ寝返りを打ち続け、朝もやに包まれる頃になってようやく浅い眠りにつく。
そんな状態なものだから、起床時刻に目覚ましが鳴っても、ちょっとやそっとじゃ全然起きられない。
アラームを2つセットして、両方を寝ぼけながらも確実に切っている。
しばらくしてやっと覚醒し、慌てふためいて飛び起きる。
そのときには目覚ましが鳴った記憶も、それを自らで切った記憶も、見事に消えているのだ。 あな、恐ろしや。

自分のだめさ加減にはほとほとあきれるが、こればっかりは一生治らないだろうな、とも思っている。
腰痛みたいなものだ、うまく付き合っていかなくては、と。

2004年7月24日

夏の魔王の仕業

前述の理由で、今月は数回大学に行ったのだが、そこで私は自分自身に対して驚くようなあきれるような、そんなことがあった。

ひとつは、若い男性を見かけると勝手ににやけてきてしまったこと。
そこもかしこも大学生。
いやぁ、夏だからみんな半袖やノースリーブで、若々しい日焼けした二の腕があらわになっている。
おぉ、若い。おぉ、たくましい。きらめく若さよ。
大学構内で若者(男性)とすれ違うたびに、うつむく始末。
何しろだらしなくにやついているものだから。
しかし私は気づいた。
「うわっ、私ったら危険人物みたい!何に枯渇しているの!」と。
夏の魔王にやられそうになっていたよ。気をつけねば。
ただ、やっぱり悔いてしまうのは、なぜ、大学時代にもっと周りにくまなく目を向けていなかったのだろうということ。
若者だらけの空間なんて、社会に出たらそうそうお目にかかれるものではないのだ。
あの頃、もっと熱に浮かされていたら…
飽きるほど恋愛に踊らされていたら…
24歳で大学生の二の腕ににやついたりなどしないのに。
涙で夏の太陽が歪んで見えたぜ。

もうひとつ。
教官に頼まれて、大学近くの珈琲豆専門店におつかいに行ったときのこと。
レジの朗らかなお姉さんに「暑いですねぇ。今日はお仕事、お休みなんですか?」と聞かれた。
そのとき少なからずショックを受けた。
「私って、もう大学生には見えないのか!」と。
スーツ姿じゃなかったのに。
口紅だって引いてなかったのに。(口紅ってけっこう重要だと思う)
懐かしの構内を歩いているときは、もうすっかり大学時代の心に戻っていたのに。
24歳は24歳なのね。
滲み出る大人らしさってことかな。落ち着いた雰囲気とか。
そう思ってなきゃ、やってられないぜ。
あぁ、私はピーターパンにはなれなかったようだ。

2004年7月20日

一冊のアルバム

先月お亡くなりになったヒゲ先生(6月22日付けの記述を参照)を偲ぶ会が、ちょうど一ヶ月後の今日、ホテル会場で催されることになった。
その際に展示する資料づくりのために、大学にお手伝いに行っていた。
先生のファンであった私にはうってつけの仕事だということで、大学時代の担当教官から任命されたのだ。
その資料というのは、大学で開かれた公開講座の模様を記録した写真やビデオ映像である。
他学部の教授であった先生を知ったのも、この公開講座がキッカケであった。
まとめたものはそのまま、職場(大学)での先生の姿を記録したものとして、ご家族に手渡されることになっている。
咽喉癌であったので、音声が残っている映像はご家族にとっても貴重だということで、これは全力を注がなくては! と私は強い眼差しで作業を始めた。

特に写真アルバムは、我ながら力作だと思う。
アルバム一冊にちょうど収まるように挿入していった写真の横に、それぞれ一口メモを書いた。
「受付ロビーを見て回る先生」
「壇上で挨拶をする先生」
「マイクを手に身を乗り出す先生」
「頬杖をつく先生」
「微笑んで話す先生」
「お茶を飲み、喉を潤そうとする先生」「そして、語る先生」
「興味深げに見守る先生」
「遠くへ想いを馳せるような目をする先生」
「やや後ろ体重で話を聞く先生」
「立ち上がり参加者へ資料を提示する先生」
「参加者へ記念品を手渡す先生」
「打ち上げにて、帰り際ポーズを取る先生」などなど。

どの写真にも先生らしさがよく出ていると思う。
編集をしながら、思い出して悲しくなるのかな、と思っていたけれど、その逆だった。
写真でも映像でも、先生の存在感はとても確かなものに思われて、私はなんだかうれしくなった。
姿を見ていると、「あぁ、こういう先生だったんだよなぁ」と知らぬ間に微笑んでいた。

今日、私は偲ぶ会には出席できないが、担当教官に先生のご自宅へ連れて行ってもらい、ご遺影にお会いしてくるつもりでいる。

2004年7月18日

体育嫌い

私はダンス以外の運動が下手っぴだ。
大地を駆け回ったり、横飛びを反復したり、ボールかそれより重い何かを掴んだり受け取ったり、放り投げたり避けたりする動作が、おしなべて苦手だ。
とくに走るのは、それはそれは驚くほど遅く、50Mタイムが標準の人の100Mタイムと同じほどであったと思う。
絶対、サバンナでは生き残れないだろう。

小・中・高校時代を通じて、私はすべての授業の中で体育がもっとも嫌いだった。
徒競走も球技も水泳も鉄棒も跳び箱もマット運動もない世界で学生生活を過ごしたかった、と今でも思う。
チームに分かれて行う競技(とくに球技)なんか、もう朝から気が重くて仕方なかった。
だって私が足を引っ張ることは確実なのだ。
どれだけ、透明人間になりたいとコート内で願っていたことか。
自意識の強い思春期まっただ中の少女である。
必要以上に憂鬱に感じていたのだと思う。

また、道具も愛せなかった。
跳び箱は威風堂々としている雰囲気が近寄りがたかったし、バレーボールはいつでも突き指させてやるぜという表情が、私にとっては憎々しかった。
マットは厚ぼったい焼き豆腐みたいで、冷たく重く、耳がついているのが気に入らなかった。
ただし跳び箱は、台上前転(跳び箱の台の上ででんぐり返しをする)だけはけっこう楽しんでいた記憶がある。
普通に飛ぶのはまったくだめで、なんと4段も飛び越えることがままならない私が、台上前転では8段をクリアできたのだ。
これは数少ない体育での輝かしい思い出である。
もし公園に跳び箱が置かれていたら…
多分、私は子どもたちの目の前で、台上前転を「どーれ」と試みることだろう。

2004年7月13日

テニスを観る

ウィンブルドン2004が終わった。
2週間かけて繰り広げられる、芝の戦い。
今年も白熱した試合の数々であった。
私はすべての球技観戦の中で、テニスが一番好きだ。
そりゃもう、大会期間中は毎夜毎夜(NHK総合では真夜中に放送される)、翌朝くまができてしまうのを承知で観てしまうくらい。
同時に録画だってしているのに!
だって楽しいんだもん!

ここで重要なのは、あくまでも「観戦」が好きという点。
私はテニス経験がほとんどない。
中学校時代に体育の授業で、ほんのほんの少しやっただけである。
楽しかった思い出はなく、私は本当に体育の授業が苦手だったのだ。
運動神経が鈍いうえに(だからこそ?)集団行動が嫌い。
そして、そのまま成長してきたのだけれど。

そんな私がいつどうやってテニス観戦が好きになったか。
たしか大学生になってからだと思う。
母親の影響だった。
私の母は私と同じく体育嫌いであるが、なぜか彼女はテニスとゴルフ観戦が趣味のひとつなのである。
ゴルフ熱は移らなかったが、テニス熱はすっかり娘に感染した。
とにかく面白いのだ、テニスは。
パコーンッパコーンッという音も心地よい。
どのスポーツでもそうだと思うが、心理戦がまた面白い。
たった1ポイントが試合をあっという間にひっくり返したりするのだ。
油断ならないスポーツである。
おいそれとキッチンへお茶を取りにも行けない。
選手の表情の変化(または変化しないというところ)を見るのも面白い。
見ているこちらまで緊張したり、歓喜したり悔しがったり。
テニスの試合の中に流れる空気や時間全体が好きだ。
だから私は、ウィンブルドン中継が見られるというだけで、梅雨の季節もなんのそのなのである。

2004年7月9日

俳句とは、川柳とは

初めて試みてみた、575。
いやぁ、どうなんでしょう。
まだ全然勉強不足で、お恥ずかしいところが多々あります。
「俳句の何たるか」「川柳の何たるか」をご存知の方には、ほとほとあきれられること必至。
でも、楽しんでつくることができました。
短歌のときと同様、キッカケは実に自然発生的でした。
真夜中に突然、575の三句定型のリズムが押し寄せてきて、ベッドの上でぐるぐるしながら書きとめたものです。
それはまさしく「降りてくる」感覚。
俳句入門書のようなものを読んだわけではないので、いろいろ間違っているところも多いのだろうなぁ。
その後、図書館に行って探したのだが、これぞという文献は見つからなかった。
あぁ、もっと精進しなくては。

今回よくわかったことは、短歌をつくるときと、俳句もしくは川柳をつくるときの心の持ちようの違いです。
文字数が異なっているというだけじゃなく、創作姿勢からまったく別のような気がします。
自分が見たもの感じたものを言葉にしていく、その過程自体が。
それぞれの文芸形態に込めたい意図というのか狙いというか、「思い」が違うのですね。
どう違うのかは、まだうまく表現することはできないのですが、うん、もう少し考えてみようと思います。
あとは、短歌でも同じだけれど、より多くの俳句や川柳を読んで、いろいろな世界の扉をのぞいてみたいです。
そんな、私の文月のはじめ。

2004年7月8日

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2004年07月


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