甘い日々A

第47回『短歌研究新人賞』の選考座談会の記事を読んだ感想を、いくつか述べておきたいと思います。

まず、テーマ設定の必要性について。
言われるまで気づかなかったよ、テーマが必要だということを。
これは世代の問題なのか、個人の問題なのかわからないけれど、「主題や時事に挑む姿勢」が必要だなんて、思い切り失念していた。
私の今回の連作の場合、「お菓子を題材にしよう」という方針だけで、 そこに何か読者に訴えかける主張であったり思想なりを盛り込んでいなかった。
大体、お菓子で統一したのだって、今までつくってきた短歌にお菓子が詠み込まれているものがひとかたまりあったから、 単にそこから増やそうと思ったのだし。
他の連作をつくる場合でも、「こういうストーリーで、こういう舞台背景にして」とは考えても、 それ以上の何かには踏み込んでいなかったように思う。
言うなれば、自分と自分の短歌だけの閉ざされた小さな世界で完結させているのだ。
なので、「今は主題がない時代で」という選考委員の先生の言葉を読んだときには、 なるほどそうだ、と驚きともに合点がいったのです。

もう、私なんかのことが書かれているだけで、うれしくて、何も言うことはないんですけどね。 (十分、言っていますけど)
いやいや、本当、今回は、「お菓子だけの連作」ということで面白がっていただいて、ひょっこり候補作に選ばれたのだと思います。
こんな幸運はもう来ないな。
いくらお母さんが私の名前が載っている全ページに付箋をつけて、 パート先で人に見せびらかしても、保存用にもう一冊買ってくるようにと言われていても、 慎ましく、今までどおり歌を詠んでいく所存です。
ありがとうございました。

2004年8月31日

甘い日々

第47回『短歌研究新人賞』候補作Uに選ばれました!
うえーん。嬉しいよう、びっくりしたよう。
全然知らずに、今頃うっかり本屋さんで開いてしまったものだから、あまりの衝撃に屋外でおもらししてしまうところだった。
いや、屋内外は関係ないか。てへ。
「驚愕」と「歓喜」というのがどんな状態をいうのか、身を持って経験しました。
だって目次に自分の名前あるんだもん。
そりゃあ、目を見開き、そして固まりますよ。
ページをめくって見ても、首を傾げて、
「これ、私の名前だよね?いや、同姓同名の(さぞ可愛らしいだろう)人かもしれない」
しかし載っていたのは、確かに私の応募した連作。
肌がざわざわしてきて、耐えられなくなって、その場で細かく足踏みをしてしまいました。
周囲の人々に不審者だと極力思われないように、細かく細かく。
なんて嬉しい!
消印有効日ギリギリに、あのどしゃ降りのなか、橋を越えて郵便局に行ってよかった。

あぁ、吉日だ。
もうここが、我が短歌人生の頂点だと思うなぁ。本当に。
嬉しくて、でもまだ信じられなくて、何度も読み返していました。
昨夜は枕元に置いて寝ました。雑誌と添い寝する女。
私は人間だけれど、もうこのパルプ材と結婚してもいい、と思うほどのうっとりな夜でした。
応募作品『甘い日々』をTankaに掲載しています。

2004年8月28日

ヒールでぐりぐり

先日、見た夢。
どこかのホールで(もしかした野外かも)、映画上映会が行われた。
私は多分、家族と一緒にそれに出かけた。
座席は真ん中よりも後ろ。
するとそこに、ハンサムなプレイボーイが現れた。
なぜプレイボーイだとわかったかというと、モデルのような長身美人を3人ほどはべらせて歩いてきたから。
彼らは私の席の近くに座った。

その映画上映会では、飲み物をセルフサービスで配っており、プレイボーイは連れの美人たちのためにそれを取りに行った。
帰ってきた彼は、トレイに飲み物をたくさん載せていた。
美人たちにだけでなく、周囲の女性たちにも配るために。
さすがプレイボーイと感心していたら。
私の順番になり、彼から「はい」と手渡されたのは、お茶碗にこんもりと(日本昔話のように!)盛られたごはん。
えー、なんでー。
美人たちは、青い色のカクテルやらマティーニなのにー。

私は急激に頭にきて、通路を挟んで隣の隣の、そのプレイボーイの座席まで行き、お茶碗を思いっきり椅子にひっくり返してやった。
そしてその後、履いていたミュールの細いヒールで、白米をぐりぐりと背もたれの溝に押し込んだ。
なんだかいろいろ暴言を吐きながら。
プレイボーイは、トレイを手にしたまま、呆然と通路に立ちつくしていた。

変な夢だった。いやぁ、腹立たしかったなー。
今回の夢の自己分析は、そのままで悲しいから言わない。
お米は大事にしましょう。
第一次産業の発展は国の柱です。
決して現実世界では、私、ヒールで白米をぐりぐりなんかしない。

2004年8月25日

祝・62着

昨日、無事に題詠マラソン2004を完走した。
100首、思えば長い道程であった。
「このお題で詠めるかなぁ」と不安だったものも、何とかつくることができてほっとしている。

私の場合、50首ずつで区切って取り組んだ。
まずは001:から050:まで一気につくり(一気にと言っても、一日二日じゃないよ)、50日間一首ずつ投稿。
インターバルを挟んで、残り50首を、というふうに。
なぜこうしたかというと、「よし、短歌を詠むぞう」という気にならないとなかなかできないからだ。
いつだったか、短歌を詠まない友人から「短歌って、毎日つくっているものなの?」と聞かれて、 まさかまさかと首を激しく左右に振った覚えがある。
私は怠け者だし、他にもテレビや映画を観たり、注意深く録画ボタンを押したり、兄弟と遊んだり、本を読んだり、ぼーっとしたりしなくてはならない。
毎日詠む心構えでいないと短歌は上達しない、という話をどこかで目にしたことがあるが、実に耳が痛い。
2004年3月1日付けの記述『のめり道』でも言ったが、私は一定の期間に没頭してやる、というスタイルが性に合っているのだと思う。
こんな私でも、短歌の神様、力をお与えください。

さて、50首ずつ区切ったということで、私自身としては、前半と後半では何かが違っているような感じがする。
上達しているとか下手になっているとか、そういうことではなく。
表現しようとしている世界が微妙にズレたというか。
うまく言葉に表せないけれど。
とにかく、完走した今思うのは、題詠はやっぱり面白いということ。
失敗作も多いけど、自分で好きだと思える短歌をいくつかつくることができたのがうれしい。
Flagを通して、他の方々の短歌を深く読もうとする経験を得られたのも有意義だった。
来年もぜひ、題詠マラソン2005が開催され、新しい短歌に出会えることを心から願っている。

2004年8月21日

競え、仲良し家族

最近、なぞなぞ番組が流行している。
この波に佐藤家は大いに乗っており、我が家では家族総出で取り組んでいる。
わざわざ録画しておいて、それを後からリビングに集まって始める。
答えがわかった順に、
「はい!」と挙手をして、テーブル周辺を浮かれてマーチする、とか
両手を高く掲げて、ひらめいたことを神様に感謝する、とかしながら
競争する遊びである。
もうこれが楽しくて楽しくて、毎週開催している。
なんて仲の良い家族だろう。
ビデオを再生する前には、各々(といっても、大概私かお兄ちゃんなんだけど)、 「よっしゃ来ーい」だの「今日はひとり勝ちしてやるう」だの、己を鼓舞しながら戦いに臨んでいる。
勝敗は、なかなか拮抗している。
以前はお兄ちゃんが一番出来がよかったのだが、最近は私やお母さんが力をつけてきた模様。
妹はいつも「二番手の女」
弟は頭が固くて、頑固者だからなぁ。
そうやって楽しく夜を過ごしている。

また、UNOも一時期、お兄ちゃんがハマってよく兄弟みんなでやった。
数ヶ月前かな。その頃は毎日、繰り返しやっていた。
しかも誰が言い出したのでもなく、UNOをやっている最中は、会話はテンションの高い英語で行われることになっている。
これは本当に、奇妙な光景だ。まったく意味不明。
とても面白いし、気分も否応なしに高揚してしまう。

しかし、嘆かわしいこともある。
最近、妹と弟が非協力的になってきたのだ。
「面倒だ」「なんで兄弟みんなでやる必要があるの?」だなんて。
勝負に勝てないからって!
そのたびに私とお兄ちゃんがなだめすかしているのが現状である。
だって、家族でしょう。兄弟でしょう。
一緒に遊べるうちは遊ぼうよう、の気持ち。
兄弟が4人もいれば、それが閉じられた世界であっても(だからこそ)、 他に他人が介入しなくても大いに盛り上がるものだなぁと、毎回実感している。

2004年8月11日

夏祭り

今日明日と、祭りを見に行く。
今夜は妹と。明日は弟と。

鬼が出てくるたびに、「あれはことりちゃんだ」と言う。
武者が出てくるたびに、「あれはお姉ちゃんだよ」と教えてあげる。

緑色のことりちゃんは、くるくるのパーマで天辺が禿げあがっている。
私は鼻が白く、大体いつも、頬と顎に豊かな髭をたくわえている。

あっ、次は紫ことり。目が金色。
動物は全部、愛犬チョコタン(ミニチュア・ダックスフント)だと言う。
白馬もチョコタン。
一対の龍は、どちらもチョコタン。
手綱さえもチョコタンだ、と笑い合う。

ふたりでそうして、たくさん笑い合う。
でも太鼓の音が大きくて、笑い声はよく聞こえない。
あぁ、なんて面白い。夏祭り。

2004年8月6日

説明するスキル

いつか話したと思うが、今、私は江國香織の著書に夢中だ。
とにかく、言葉のリズムがとても好きなのだ。
心の表層も深層も、どこもかしこも、滑らかにするすると撫でられているような気持ちになる。
いまだ活字慣れしていない私は、はじめはエッセイから(一章一章が短いので)読み始めた。
やっぱり、うなずいてしまうほど面白い。
ものの考え方や表現の仕方が、可愛らしくて、ユニークで、素直で、誠実だ。

エッセイを二冊読んで、小説を手に取った。
『きらきらひかる』
どのような感想を持ったかは、長くなるので今は書かないけれど、あれやこれや、いろいろなことを考えさせられた。
その気持ちを誰かと共有したくて、私はことりちゃんや友達にあらすじを話して聞かせた。
けれど、興奮しながら話している間中、頭の反対側では「なんか違う」と思っていた。
だって全然、うまく説明できないのだ。
私というフィルターを通して語られると、小説の世界がまったく別のもののようになってしまう。
微妙な切なさや雰囲気やニュアンスが、ぐちゃぐちゃに崩れてしまう。
なんだか物悲しくなってしまった。

私は、口頭で何かを説明する才能や技術がいまひとつなんだと思う。
文章で書くのであったら、消したり直したりしながら、少しはどうにかこうにかできるのだけど、話して聞かせる能力が足りない。
あぁ、悔しい。
もっと口達者な人になりたい。
できるだけ正しく伝えたり、より面白く楽しく興味深く聞いてもらえるように順序だてて話したり。
自分の好きなものを人にきちんと説明できるというのは、実は人生において、とても大切なことなのではないかなと思う。

2004年8月3日

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2004年08月


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