青い日A

角川短歌賞を受賞された小島なおさんの連作『乱反射』や、次席・佳作に選ばれた方々の作品を読んで思うのは、 世界観が明確に打ち出されているということだ。
詠もうとしているものがきちんと見据えられていて、それを読者に伝える力を持っている。
私は『乱反射』を読んで、たちまち小島さんのファンになってしまったのだけれど、この作品は本当に瑞々しい感性にあふれている。
彼女が、自分を取り巻く世界に感じている手触りのようなものが、連作をとおして伝わってくる。
しかも日常性を失っていない、というのか、地に足がついている感じがする。
そして、座談会でも言われていたが、文体が一定している。
そのことは、作品全体の安定感につながるのだろう。

私の話になってしまって恐縮だが、私が応募した連作『青い日』では、上記の事柄が欠けていると思う。
連作のつくり方自体に問題があって(連作としての構成をあまり考えることなく、まず50首つくろうと思って詠み溜めていった)、 50首それぞれの向いているベクトルがまとまっていない。
また、作品世界は、自分の内面だけで自己完結していて、世界とのつながりが閉じられている感じがする。
文体の不一致は、それこそ意識の低下を表している。
きゃあ、恥ずかしい!
私はついついストーリー性に頼ってしまうけれど、連作はやっぱり、底力が必要なのだと実感した。
短歌それぞれを適切に機能するパーツとして組み込み、世界観(自分の目から見えるもの)を破綻なく構築していくのは、 実に難しいことだ。

座談会での選考委員の先生方のコメントから、今後の課題を大きく3つ
@テーマ意識・構成への意識を持つ
A外部と繋がっていく経路を持つ
B文体を一定させる
ゆるゆるとがんばるぞう、おう。

2004年10月29日

青い日

第50回『角川短歌賞』の予選通過作品に選ばれました。
私の名前が載っている…くすん、嬉しい。
しみじみ、嬉しいです。ありがとうございます。
ひとえに、予備選考で選んでくださった編集部のどなたかのおかげ。
星を見上げて感謝します。
いやぁ、短歌研究新人賞候補に引き続き、今年はいい年になったなぁ。
これをホップ・ステップ・ジャンプの「ホップ」にしたいのだけど、ここがもうすでに「ジャンプ」後の着地点なのかもしれない。
それでも気負わずに、自分の心のおもむくままに、詠いたいときに詠おう、 と気持ちを新たにする次第であります。

ちょっとびっくりしたのは、私は今回、初めてこの賞にチャレンジしたのですが、予選通過しただけでは 何のコメントもいただけないのですね。
どこがよかったのか悪かったのか。
うえーん、自分じゃわからないよう。
こういうとき、師がいる環境の素晴らしさを思わずにはいられません。
私は短歌をつくり始めた頃、小さい「っ」を一音に数えるということにしばらく気づいていませんでした。
そのくらい無知で、今もまだ、基本的な約束事でわかっていないことがたくさんあるのだと思います。
選考座談会の記事を読んで考えたことや、それを踏まえて、自分の連作を読み返してみた感想や反省点など、 いろいろありますが、今日はここまで。

2004年10月27日

夢メモ

昨日書いた夢のお話、覆面探偵。
なぜ探偵が覆面をつけているのか、いまさらになって不思議に思う。
顔を知られてはいけなかったのだろうか。
探偵業は裏の顔で、表の顔が別にあるってこと?
表の顔…公務員とかかな。

さて、忘れないうちにと書いた夢メモも、後になって読み返してみると、 まったく意味がわからなくなっていることがある。
自分で書いておきながら、実にちんぷんかんぷんな文章なのだ。
以下に、メモ内容をそのまま記してみる。
「→」からは現在の私の感想。

<ある共産主義国の軍事機密>
鉄腕アトムが実在した。
兵隊として。しかも父子。父はヒゲアトム。
しかし、その情報が他国にばれて、手を切る手術をした。
→手を切る必要性って何?なんだ、ヒゲアトムって。

<馬人間>
格闘兵士。ラマとの混血。
頭に小刀を刺されて殺されたチャンピオン。
その強靭な肉体を利用するために、首をすげ替える手術。
→手術ものが好きなのか?ラマって一体。その時点で「馬人間」じゃないし。

<三本角なまはげ>
節だった三本の角が、前方に長く垂れ下がっている。
青年団はほとんど、土木・建設業。
→二行目、ほとんど現実社会だし。これはイラスト付きだった。
(ちなみに、私の「なまはげ」への愛については、2004年1月20日付けの記述を参照あれ)

ほら、わけがわからない。
せっかく書いても思い出せないよ、ごめんね、過去の私よ。

2004年10月26日

覆面探偵冒険譚

ここでも何度か、夢の話をした。
私は特別よく夢を見るというわけではないと思う。
けれど、印象深い夢については、忘れないうちにメモしておくのが習慣になっている。
ときにイラスト付きで。色も塗ったり。

中学生だったか高校生だったか、そのとき見た夢は、正義の「覆面探偵」になった私(男性の設定)が 悪の怪人に殺されかける、というショッキングな内容だった。
高い塔のてっぺんで、片足をつかまれて宙吊りにされ、そのまま足を巨大なハサミで切り落とされたのだ。
片足を失い、頭から地面へと落下していく。
なんて、なんて、恐ろしい夢。
その恐怖を忘れないようにしようと思って、イラストと文章で詳細に記し、興奮しながらそれを母親に見せに行った。
すると母は、気色悪いと言って、私がいない間にそのメモを捨ててしまった。
せっかく書いたのにー。
けれどそれって、私が感じて紙に少しでも留めておこうとしたその恐怖を、自分以外の人も感じてくれたという証拠でもあって、 私はちょっとうれしく思ったことを覚えている。

メモは捨てられてしまったが、この夢はよっぽど記憶に残っていたのか、今でもこうして思い出すことができる。
その「覆面探偵」は、その晩、夢の中でシリーズ構成になっていたらしく、「残忍!ハサミ怪人の巻き」のほかにも、 「狂乱!呪いの黄色い帽子の巻き」というのもあったのを覚えている。
これは、さびれた村(中世ヨーロッパと、ナウシカの住む風の谷を合わせたような感じ)に伝わる呪いの帽子が巻き起こす事件のお話。
普段は木箱に厳重に保管されているその帽子は、帽子というよりは「長方形の箱」のような形で、色は山吹色っぽい黄色で、絹の紐がついていた。
それをなんの拍子か、寝たきりのおじいさんがかぶってしまい、可愛がっているはずの孫娘(探偵である私に依頼をしてきた)や私に襲いかかってくるという展開だった。
さっきまでベッドに横たわりながら、孫に優しい眼差しを向けていたおじいさんが、黄色い帽子をかぶり、 四つん這いになって天井に貼りついている図は、本当に衝撃的だ。
どっちの巻きも、結局ラストはどう決着をつけたのかわからなくなってしまったけれど。

他人の夢の話はつまらないかもしれませんが、書いている本人はとても楽しいので許してください。
夢メモはこれからも書いていくと思います。とう!

2004年10月25日

ソクラテスさんへ

無知というのは、本当に災難となって自分の身に降りかかるものだ。

私は右足首の関節に古傷があり、冬の寒い日なんかには軋んだり、気圧の変化によって調子が悪くなったりする。
ダンサーなのに。足が命なのに。
中学生時代に、捻挫をこじらせたのが原因だった。
何の拍子に痛めたのかはわからない。
というのも、「自分の今のこの痛みが捻挫だ」ということに、当時の私は気がついていなかったのだ。
あれー、なんかおかしいなぁ。痛いなぁ。
と思いながらも、普通に学校生活を送り続け、体育の授業(飛び箱)もいつもどおりに参加していた。
痛い痛いと、路上で立ち止まっては足首を回すストレッチを繰り返す日々だった。
そりゃあ、ロイター板なんて力強く踏み込めるわけがない。
それでも健気に飛び箱に挑む、十代前半の私。

そうこうしているうちに、足首の痛みは腰にまでやってきて、私は激しい腰痛で洗顔さえままならない状態に陥った。
そこに来てようやく、私は周囲の大人に「痛いんですけど」と訴えたのである。
整骨院の先生には、なんで早く来なかったのかと怒られたけれど、だって捻挫というのがどういうものなのか、 経験したことがなかったのだから仕方がないじゃないか。
捻挫のまま、走ったり踏み込んだりしていたせいで、それからの長い人生、 私はときおり軋む足首と付き合っていかなくてはならなくなった。

また、現状をきちんと認識できずに、問題を悪化させたと言えば、自転車のタイヤパンクの思い出もよみがえる。
私はそのとき、やっぱり、パンクというのがどういう状態のことを指すのか知らなかった。
だから、今日の自転車はどうもギッコンバッコンするなぁ。
何が原因だ?
なんて思いながら、タイヤがパンクした自転車を一日中乗り回し、パンクしていない方のタイヤまで破ってしまっていた。
これもまた、自転車屋のおじさんに叱られた。

あぁ、無知とはなんて愚かで不幸なことなのだろうか。
でもこうして人は生きていくものなのかな。
無知の知にいたるまでには、あとどれくらいの自転車のタイヤと足首の関節を準備すればいいのでしょうか、賢者ソクラテスよ、の心。

2004年10月24日

腰骨でテレビを破壊する

みなさんは、腰骨で機械を破壊したことがあるだろうか。
私はテレビを破壊した。

我が家はれっきとした中流階級なので、一部屋に一台テレビがある。
リビングと家族それぞれの部屋に。
その晩、私は真夜中にトイレに起きた。
電気をつけなかったのは、目がまぶしさに驚いてチカチカするからだ。
トイレから帰ってきて、暗闇の中、手探りでベッドまでの道のりを歩いていたら、 ゴツッと腰骨に何かが当たる感触。
その次の瞬間、黒い塊が床に墜落していた。

すぐに電気をつけてチェックしたけれど、電源も入りゃあしない。
テレビの置き場所がまず悪かった。
なぜか部屋の真ん中、丸イスの上に置いていたのだから。
私が置いたのではない。
可愛い、片付けられない人間である妹(私たちは同部屋)がその場所を選択したのだ。
そんな不安定な場所に置いているんだから、寝ぼけてふらついて歩いていたら、当然、腰骨にだって当たるってものだ。
あんな些細な圧力(私の腰骨による)に負けるなんて。
奥行きたっぷりのブラウン管テレビのくせに。
あ、だからこそ落っこちたのか。
次の朝は家族みんなに叱られた。

ちなみに。
私自身は全然そんなことないと思うのだが、家族曰く、私の腰は「凶器」なのだそうだ。
おしくらまんじゅうの女王。家族内では無敵で無敗。
だからって神様、私からテレビを奪わなくったっていいじゃないですか。
その事件以来、テレビっ子の私は、テレビを求めて、リビングにいる時間がますます増えた。
はっ!それに伴って、家族との交流が増えたのだったら、神様、それが狙いだったのですか。

2004年10月14日

ところてん式の記憶

私は、何かを記憶するのが早いほうだと思う。
そして同じくらい、忘れるのも早い。
瞬発力があっても持続力がなし、ということか。

私はどこかで、頭の中の記憶する量というのは決まっていて、何か新しいものを暗記すれば、 その分、ところてんを押し出す器具のように、同じ量の記憶が抜け落ちてしまう、と考えているふしがある。
なので、不要なものはできるだけ暗記してしまわないように気をつけて生活してきた。
例えば、電車の各駅停車の駅名だとか。
毎日乗っていて、毎日聞いていたら覚えてしまうので、「次はー」と車内アナウンスが流れている間は無の境地を心がける。
天才暗記少年(膨大な数の駅名や魚の名前を暗唱できるような)が得ているだろう喜びは、私の生活には要らないのだ。
あとは、電車の発車時刻だとか。
表やメモを見ればわかることを、いちいち暗記してはならない。
暗記すればそれだけ、もしかしたらもっと大切な記憶を失ってしまうかもしれないのだから。

しかし懸念は、そんなわけのわからない思い込みのせいで、結局、記憶力を鈍らせる結果になっているのかもしれないということだ。
私は自分の短歌を暗唱するのもままならないときが多々ある。
特に「て・に・を・は」といった細かい部分があやふやになってしまう。
つくるときはあんなに、「が」にするか「は」にするか悩んだはずなのに。
「自身で暗記もできないようなものなら、それは駄作なのだ」というお話を聞くと、ちょっと泣きそうになる。
なので、万葉集の短歌を諳んじたり、多くの短歌を暗記している方を見ると、もはや畏怖の念だ。
多分、そういう方は、暗記しようと思ってするのではなく、自然に覚えてしまうのだと思う。
意欲がなければ暗記できない私は、意欲が出てくることがないまま、シナプスをどんどん解体して老後を迎えるのだろうか、 おろろん。

2004年10月8日

短歌についてちょっと考えてみる

先日、久しぶりに再会した友人たちに
「俳句つくっているんだって?」
「今まで何句くらいつくったの?」
など聞かれて、にぎやかに過ごした。
「俳句じゃなくて短歌ね。句じゃなくて首ね。」
というのは心の中だけでつぶやいて、口には出さなかった。

私はこういうことには全然、動じない。
いちいち訂正するのも面倒だし、それを人に指摘することがそれほど重要なことだと思わない。
どういう名称で呼ばれようと、どういう単位で数えられようと、短歌そのものが変わるわけではないのだ。
私は気恥ずかしさも手伝って、友人たちの問いかけにはとくに答えずに始終にこにこしていた。

しかし、「短歌」と「俳句」では、俳句のほうがメジャーということなのかしら。
他の友人や知り合いと話していても、短歌という言葉が出てくるのは、俳句や川柳の後だ。
短歌を始める前、自分が実際、短歌についてどういうイメージを持っていたのかを思い出すことはできなくなってしまったが。
俳句のほうが、諳んじるのが容易だというのも大きな要因だと思う。
575と57577では、そりゃあ違うだろう。
「岩にしみいる」芭蕉や「そこのけそこのけ」一茶や「柿食えば」子規は、教科書でもおなじみだもの。
我が家の母だって唱えることができる。
しかし三十一文字だと、なかなか難しい。 自分自身そう思う。
短歌、短歌。
その位置は、社会においてどのあたりにあるのだろう。

2004年10月5日

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2004年10月


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