哀しい春

私の誕生日もある、煌びやか(個人的感覚で)な三月の上半期を、私はほとんど「哀しみ」に足を突っ込んで暮らしていた。
妹が、私の愛する妹が、離れていってしまうのだ。

無事に大学を卒業し、見事に就職戦線を勝ち抜いた妹は、今春から、実家を離れて社会人生活を始める。
たった車で二時間弱の距離だと言っても、妹が家を出ていくという現実に、私はひどく打ちひしがれた。
妹が生まれて23年間、私たちは決して離れることなく、一緒に生活してきたのだ。
妹と私は同じ部屋で、二段ベッドの上が妹、下が私。
毎週日曜日は一緒にお風呂に入る習慣になっていて、おしゃべりをしながら踵に軽石をかけ合う。
片付けが苦手な妹に、私はいつも手を焼かされた。
手先が器用な妹に、編み物を教えてもらい、スカートの裾上げをしてもらい、シールをきれいに剥がしてもらった。
妹が買ってきてくれる紅茶の葉は、いつもとても美しい色をしていた。

哀しみはやはり混沌として、私の心にわだかまっていた。
門出なんて祝っていられない。
妹が引っ越し準備をしている期間ずっと、妹離れのできないわがままな姉は機嫌が悪くなり、 「新居となるアパートがイリュージョニストの手によって消失すればいいのに」などと願っては母に叱られたり、 「私がこんなに哀しんでいるのに、おまえは家族と離れることに何も感じないのか」とケンカをふっかけたり、 まだ荷造りしている段階だというのに「どうか元気に暮らしてね」とめそめそ泣いて妹に抱きついたりしていた。
そして、今週、妹を見送った。

そんな遠距離に離れてしまうというわけでもないのに、なんでこんなに心の中がこんがらがっているのか自分自身わからずに、 ただただ不機嫌になっていた。
けれど今、少し落ち着いて考えてみれば、それは、妹のいない生活に慣れてしまうことへの恐怖心だったのだと思う。
今は喪失感を感じていても、いずれそれが普通になって、私は部屋にひとりでいても何も哀しくなんかなくなる。
その予想図が実現化されるのが怖いのだ。
会おうと思えばいつだって会える距離だけれど、お互いの生活サイクルの中には組み込まれなくなる。
今まで毎日顔を合わせていた家族がそばからいなくなるというのは、とても哀しいことだ。
親友であり、守るべき家族であり、可愛くて優しくて、ときどき小憎たらしくなるけれど、大切な大切な妹。
お兄ちゃんがうちを出てもいい、弟でもいい。
けれど、妹は困る。
神様、困るのだよ。
数年たったら、彼女を私のもとにどうか返してください。

今年の春は、同性のきょうだいがいかに特別なものかを改めて知った季節。
ああ、もう妹はチョコタン(愛犬)しか家にいなくなってしまう。
一度、妹にしがみつきながら、「お姉ちゃんがどうにかお金持ちになるか、もしくはお金持ちと結婚するから、 そうしたら、仕事を辞めて一緒に暮らしてくれるか?」と懇願してみたら、笑って快諾してもらえた。
その夜、私は少しだけ安心して眠ることができた。

明日、自身の卒業式のために、早くも妹が帰ってくるので、温かい紅茶と甘くて美味しいケーキを一緒に食べようと思っている。

2005年3月18日

長寿の確信

私は長生きする。
少なくとも80歳は迎えられると踏んでいる。

この妙な確信は、いつからだったか忘れてしまったけれど、私の心の中ではすでに決定事項となっている。
決して若くして死にはしない。
今はまだふっくりとしている自分の掌や指が、皺皺に、それはもう細かく細かく皺皺になっているところを想像できる。
私は長生きするだろう。
そして病気では死なない。
多分、何らかの形で、交通事故が原因となると思う。
即死ではない。
雪の日、バスから降りるときに滑って転んで腰を強打し、その入院中に風邪をこじらせて肺炎になってしまう。
80歳を過ぎた体ではもちこたえられなかった。
そして、病院のベッドの上で息を引き取る。
ああ、もうなんで雪が降っている日なんかに出かけたのだよ。
どうしてタクシーに乗らなかったのだよ。
お婆ちゃん(私)のばかばか。
タクシーチケットだって購入してあげたのに!
などと、自らの末期を妄想している。
しかしこれはある意味、明るい死生観だと思っている。

私は長生きするが、いずれ死ぬ。
痛い思いをするかもしれないし(多分する)、死をとことん身近に感じて数日を生きることになるかもしれないし、 悔いることも多くあるかもしれない。
けれど、私は長生きをし、そして幸せになるだろう。
いいことやつらいことをたくさん経験して、それで最期は、「確実に幸せな人生だった」と振り返るだろう。
よくわからないけれど、私にはそういう確信がむかしからずっと、心の中に霞のように立ち込めているのだ。

長寿の確信。
それを前提に見てみれば、私の生命線の存外短いことか。
手首のラインから3cmほど離れたところで、先が散り散りになりながら切れている。
おいおい、これで80歳までだったら、手首まで生命線が伸びている人なんて120歳までは生きちゃうぜ、 と思う、高齢社会に生きる私なのであった。

2005年3月8日

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2005年03月


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