ラーメンズに夢中

前回に引き続き、今日は「これさえあれば今後の人生の余暇はすべて補える、と錯覚するほど親しんでいる対象」のもうひとつ、 『ラーメンズ』への愛を語ろう。

ラーメンズというのは、小林賢太郎・片桐仁(敬称略)のふたり組で、 お笑い芸人というより、舞台俳優という言葉のほうが近いと思う。
コント構成、脚本、舞台装置、もちろん演技(容姿・声の作り方・役に応じた口調の変化など)、 どれを取ってもとにかく素晴らしい才能のふたりなのだ。
本当に面白くて、しかもただファニーなだけじゃなく、インテリジェントなのだけど、ちゃんとコントとして成立している。
ああ、もうどうしよう。
かなり好きだ。
今、どこがどう好きか自己分析しようとしたのだけど、ラーメンズのコントを思い浮かべた時点で もう好きな気持ちが先行してしまい、私はどうしようもない。

私が初めてラーメンズを知ったのはNHK『爆笑オンエアバトル』で、そのとき観た『現代片桐概論』にすさまじい衝撃を受けた。
あんなコント、見たことがなかった。
一発でラーメンズの虜となった私は、それ以来、熱心に番組をチェックするようになり、 次週ラーメンズが出るとなれば、一週間ずっとわくわくして待っていた。
(『爆笑オンエアバトル』との蜜月は、ラーメンズがこの番組に出なくなると同時に終わった。)
この番組でやった『マーチンとプーチン』の歌詞を紙に書き出し、よく散歩しながら歌ったものだ。
ハッチョダンスもマスターし、妹と一緒に踊ったりもした。
また、笑点に出演すると聞けば録画し、トップランナーに出ると聞けばこれまた録画し、 そうして録画したテープを何度も何度も見返した。
番組のDVDでラーメンズが登場したときは万歳したものだった。
私の生活にラーメンズウィルスは確実に繁殖し、一定の期間見ない時期が続くと、禁断症状が出るほどになっていた。
なので、ライブDVDがあるなんて知ったときは、「もうー!早く言ってよ、神様!」という心境だった。
いやぁ、一気に8本揃った(ボックスセットをふたつ)ときの満たされた気持ちは何とも言えない。
これでもう、ラーメンズに飢える心配はない。

以下、「この公演プログラムの中で、私が特に好きなのはこのコント (本当はもっとあるけど、今回は泣く泣く各2タイトルセレクト篇)」リストは、私の単なるメモです。ご容赦ください。

『零の箱式』(特別公演)
・現代片桐概論
・小さな会社



『椿』(第8回公演)
・斜めの日
・悪魔が来たりてなんかいう



『鯨』(第9回公演)
・超能力
・器用で不器用な男と不器用で器用な男



『雀』(第10回公演)
・ネイノーさん
・男女の気持ち



『CHERRY BLOSSOM FRONT 345』(第11回公演)
・小説家らしき存在
・蒲田の行進曲



『ATOM』(第12回公演)
・路上のギリジン
・採集



『CLASSIC』(第13回公演)
・マリコマリオ
・バニーボーイ



『STUDY』(第14回公演)
・ホコサキ
・金部

もうどれもこれも秀逸。
こうしてリストを見てみると、異世界空間を作り出しているようなものが私は好みのようだ。
日常と非日常との境界線の肉薄。
決してありえない状況、つまり非日常の光景(コント)を日常の世界(観客側)に刷り込ませる力というのは、 やはり舞台の持つ力とも言えるのではないだろうか。

ラーメンズ好きに悪人なし。
今年初めて公演を観に行くことができたのだが、うれしかったのはラーメンズを生で観られたことだけではない。
開場前に「この通路に立っている人すべてがラーメンズファンなのだ」ということに、私は興奮を抑えることができなかった。
私の周囲にはラーメンズ好きだという人がほとんどおらず、こんなに多くの同朋を目にしたことがなかった。
まさに同朋、ラーメンズ好きに悪人なし。
観客全員と握手する代わりに、私は通路でハッチョダンスを踊ったのであった。

2005年9月30日

何曜日だってどうでしょう

私には、これさえあれば今後の人生の余暇はすべて補える、と錯覚するほど親しんでいる対象がふたつある。 (この場合、「余暇」に短歌は含まれない)
今日はそのうちのひとつ、『水曜どうでしょう』について語りたいと思う。

『水曜どうでしょう』というのは北海道のローカルテレビ番組で、詳細は公式サイトを参照していただきたい。
かなり全国区になっているので、ご存知の方も多いかと思うが、これからの今日の記述は番組を知らない方をどんどん置き去りにしていくことになるかと思われる。
申し訳ない。
けれど熱いパトスがほとばしっている真っ最中なので、どうかご勘弁を。
というのも、今月ちょうどDVD最新巻が発売されて、ここ最近、毎日と言っていいほど観ているからだ。
10分間だけでも観ようとする。
あの騙される瞬間だけでも、と。
どうでしょうというのは、不思議なことに本当に飽きない。
一度ロックオンされたなら、そうそう抜けられない魔力を持った番組、それが『水曜どうでしょう』(以下、どうでしょう)なのだ。

私がどうでしょうを知ったのは、リターンズの時期だったのは確かだが、具体的にいつだったかもはや記憶が定かではない。
この場合、「私が」と言うより「佐藤家が」と言ったほうが説明しやすいだろう。
今では、父親とチョコタン(愛犬)を除く佐藤家すべての人が、どうでしょう藩士(フリークの意)になっているのだ。
しかも、それぞれがそれぞれの経路をたどり、どうでしょうに親しむようになっていたのだから、これもまたおかしな話である。
そのため、後から知ったことだけれど、同じ番組を各々の部屋で別個に鑑賞するという状況になっていた。
そしてある日、「え、お前もどうでしょう観ていたの?」「え、お前も?」「お前も?」という話になって、 やっと家族の嗜好の一致、ひいては絆の深さを確認できたのだった。

しかして、そのことがきっかけとなり、佐藤家内でどうでしょう旋風が巻き起こり、現在に続いている。
DVD全巻、どうでしょう本、どうてちょう(手帳)の購入はもとより、札幌へ旅行の際は、 「お土産にはどうでしょうステッカー諸々を買い占めること」が家族からの任務となった。
そして岐路に着いたならば、そのステッカーの名文句を、家族全員で暗唱する式典まで催された。
リビングにこだまする声に、さぞ隣人は驚いただろう。
どうでしょうから派生して、ドラバラ鈴井の巣のDVDにも手を出し(マッスルブラザーズ最高)、 TEAM−NACSの舞台が放送されると聞いてシアターテレビジョンを契約するくらいのどうでしょう熱。
喘息持ちの母は、どうでしょうを深夜ひとりで観ていて、笑いすぎて発作が起きたそうだ。(ちなみに、ヘリコプター嘔吐事件で)
「笑い死に」が実際にありうることを、私は初めて知った。
生死に関わる、実に危険な番組である。

2005年9月現在、青森県ではクラシックが放送されている。
私がちゃんとどうでしょうを観始めたのは、『試験に出る石川県・富山県』から。
DVDで『212市町村カントリーサインの旅T』までは把握できたので、 そこからどうでしょうゼミナールまでのミッシングリンクがクラシックにて早く補完できることを、今から心待ちにしている。

最後に、告白をひとつ。
>殴られた彼はすこぶる健やかに「まもなくキャンプ地に到着だ」
未来6月号歌稿のこの一首は、完全に、どうでしょうへのオマージュである。

2005年9月29日

正義超人の夜

私は正義超人だったことがある。
もちろん、夢の中でのお話だ。
みなさんは『正義超人』『悪魔超人』という単語に覚えはあるだろうか。
そう、80年代に一世を風靡した少年マンガ『キン肉マン』(ゆでたまご著/週刊少年ジャンプ掲載)に登場する用語である。
正義超人というのは、その名の示す通り、宇宙の正義のため悪と戦うへのつっぱりもいらないマッスルボディを持つ超人のことだ。
もちろん、キン肉マンはその筆頭である。

その夜、私はキン肉マンとペアタッグを組んでいた。
私の相手はバッファローマン、キン肉マンの相手はアシュラマン(もしくはサンシャインだったかも)という名の悪魔超人だった。
私は正義超人だったのだが、誰かのキャラクターに成り代わっていたのではなく、このままの人間の体で戦っていた。
唯一、普段の私とは違うところ。
それは、深紅のイブニングドレスを着ていたことだ。
先ほど、「このままの人間の体で」と言ったが、実際は、超人ということもあってか、 通常時より二回りくらい体が大きくなっていたような感じがする。
舞台は真夜中の無人の校舎で、下駄箱近くに設置されていた水槽や壁に貼られたお知らせの紙から察するに、 おそらく小学校だったのだと思う。
「廊下をかけてはいけません」の張り紙もなんのその、私たちはお互いを牽制し合いながら、 ワックスのかかった廊下を新幹線なみの体感スピードで駆け抜けていった。
そのときの、両膝にかかるドレスの裾の感触、疾走感を私は忘れることはできない。
ある教室になだれ込んだ後も、睨み合いは続いた。
体がぶつかるたびに音を立てる机や椅子。
落ちる白い給食袋。
そして次の瞬間、私はバッファローマンの角をガシッと掴んでいた。

そこで記憶は途切れているのだが、いやぁ、私は勇敢にもよく戦ったものだ。
悪魔超人にはかなり恐ろしいビジュアルを持つものが多く、少女の私はけっこう本気で怖がっていた。
「ああ、あの悪魔超人が目の前に現れて暴れ出したらどうしよう。逃げられないに決まっている」と。
この夢は、そんな子ども時代の恐怖に打ち勝とうとする克己心の現われではなかろうか。
ところで、私は変な夢を見るとき、ちょくちょくイブニングドレスを着用している。
このことは一体、何を意味しているのだろうか。
兜の緒を締めるとき、私はいつだって心の中でドレスを着ている。

2005年9月23日

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2005年09月


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