さようなら2005年

今年一年、みなさんにとって、どのような年となったでしょうか。
私個人としては、歌集を上梓したり結社に入ったりと、短歌環境はかなり大きく変化しました。
プライベートでは負傷の多い年でした。
怪我をして一ヶ月以上ダンスが踊れなかったり、歯痛に苦しみ神経を2本も抜いたり、相変わらず股関節が病んだり。
うーむ、そういう星回りだったのだろう。
来年はきっと大丈夫だよね、神様。

今年、とくに好きになったもの。
・『陰陽師』シリーズ(夢枕獏著)
・アメリカのテレビドラマ『エイリアス』
・神木隆之介くん
・アニメやマンガの短歌化
・DVDレコーダーの編集操作

大晦日、佐藤家の恒例行事となっているもの。
・家族でお寿司やオードブルや茶碗蒸しを食べる
・きょうだいUNO大会/人生ゲーム大会
・日付けが変わると同時に、愛犬チョコタンを担ぎ上げて遊ぶこと (通称『チョコ祭り』。チョコタンが神輿役なのだが、けっこう嫌がっている様子)
・アニマックスの番組チェック

2005年もチクタク、終わろうとしています。
いま鼻風邪を引いている方には柔らかなティッシュを、 風邪を引いていない方には免疫力の更なる向上を、神様にくださいますようお祈りしつつ、今年はお別れしたいと思います。
では、よいお年をお迎えくださいませ。

2005年12月31日

100回深呼吸した後、歩きはじめるA

さて、歌集『100の呼吸で』のセールスポイントは何かと考えてみたところ、 「佐藤羽美の性愛歌がひとくくりで見られます」と答えられるのではないか、と気がついた。
性愛歌だなんて、今はほとんど詠んでいないからだ。
前述で、短歌をつくり始めた頃と現在との作歌傾向の差についていろいろと書いたけれど、 それ以前に、恋愛の歌かどうかと簡単に言ってしまえるのかもしれない。
性愛を詠んだ歌は、歌歴1〜2年目の連作にもちょこちょこっと載っているが、 それよりももっとあっけらかんとした、ストレートな性愛歌が歌集には連作のひとつとして盛り込まれている。
ヒナウタでは見られないような感じの歌になっているので、我が歌集をまだ手に取っていらっしゃらない方はぜひ☆好評発売中です。

なぜ、相聞歌をあまりつくらなくなったのかと言うと。
ひとえに、実生活できちんと恋愛をしていないからなのだが、それに加えて、 短歌で表現したいもののベクトルが今は恋愛に向いていないことがもっとも大きい。
恋愛していないからそうなったのか、視界そのものに恋愛が入り込まなくなったのか、 そこらへんは鶏と卵のどちらが先か的論争になってしまうので割愛させていただく。

この4年間で短歌のつくり方や構えが激動したように(主観)、これからだってどうなるかわからない。
まるでちんちくりんな方向へと突き進んで行くかもしれない。
突如、角砂糖しかこの世にないかのような甘い歌ばかり詠み始めるかもしれないし、 やたら偏屈な歌を詠むようになるかもしれない。
それでも、見守っていただけたらうれしいです。
そして、あんまりひどい有り様だったら、ご指導ご鞭撻のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。

2005年12月31日

100回深呼吸した後、歩きはじめる@

今年一年の自分の短歌活動を振り返って、やはり大きかったのは歌集の上梓だろう。
大きいなんてものじゃない。巨大彗星。天変地異。
本当に、まさか歌集を出すことになるなんて、短歌を始めた当時の自分からは想像もできないことだ。
できることなら、タイムマシンで過去へ出掛けて、「ちょっとちょっと、私よ聞いておくれ」と耳打ちして、 そのリアクションを見てみたいくらいだ。
きっと目をくるくるさせて信じないだろう。

最近と歌歴1〜2年目の自分の作歌傾向を比較してみると、客観視は難しいのだけど、 感覚としてはかなり異なってきている感じがする。
それは、詠いたいと思う「感情」と「情景」との関係性の違いではないだろうか。
最初の頃は、まず先に「感情」があって、その想いをモノなり情景なりに投影したり、 ストーリーを順々に積み上げていったりといった方向でつくっていった。
けれど今は、「情景」が先に想定されているような気がする。
目に浮かぶ情景、皮膚に感じる空気、その他五感すべてを動員して、ある想像上の空間に身を置くことから始めている。
その空間を見渡して見つけたモノ、必然的にそこにいるべき人。
感情や物語性は、そうしたモチーフから掬い上げるという感覚だ。

言い換えると、「半径5m内」から「夢の世界の中」へと、短歌を詠むときのスタンスが変わったと言えるかもしれない。
手を伸ばせば届く範囲の感情やモノに囲まれて詠っていた頃と、幻想のような想像の世界にドボンと飛び込んで詠う今。
そのちょうど真ん中にあるのが、歌集『100の呼吸で』だと思う。
生活をしているという手触りのある場所に着陸したり、ふわーっと感覚の世界へ浮いていったり。
2003年のあの時期でないと生まれることのなかった短歌が詰み込まれている。
拙いところもたくさんたくさんある歌集だけれども、私の短歌人生において、 もっとも歌集出版に適した時期だったのではないかと思う。
私という人間が短歌を詠んでいたという事実が形として末代まで残るのだと思えば、 それだけで歌集を出してよかったと、勝手に死に際のことまで考えてしまうのだった。

2005年12月31日

機を織りませ

昨年から書き続けていたコンテンツ、『flag』(題詠マラソン2004観戦メモ)が先日やっとコンプリートの運びとなった。
100個のお題×5首ずつ、計500ものコメントをよくぞ書いたものだと、自分自身に手書きの感謝状か肩たたき券をあげようかという気持ちだ。
なんせ私は怠惰の申し子だもの。
そりゃあ、題詠マラソン2005もすっかり終わった頃に、2004年版の感想を書いているのだから、 歩みの遅さは否定できないが、それでもだ。
「こうして書いているけれど、もしかしてどなたの役にも立っていないのかもしれない」と常に心の迷いを抱きつつ、 それでもやり遂げたことに意義を見出したい。

しかしまあ、自分の文章の下手さを痛感した日々だった。
大学時代、提出したレポートがこれでもかという鮮やかな赤ペンで「下手」と書かれて返ってきたのを思い出した。
それも尊敬する教授の手によるものだったので、しょんぼり具合は激しかった。
・文章がねじれないように。
・接続詞がおかしくならないように。
・語尾が単調にならないように。
・言いたいことをできるだけわかりやすく組み立てて書くように。
心掛けたことはいくつもあれど、なかなか実行できなかったのが現実である。
本当は、もっと簡潔に、文章を短く、すぱっと切れ味の鋭いコメント集にしたかったのだ。
けれど、もう長くなる長くなる。
あれでも書き終えた後で削ったり書き直したりしていたのだ。
どうして長めの文章になってしまったのか。
ひとつの理由として、「flagは短歌を詠まない友達を読者として想定して書いていたから」を挙げることができるだろう。

私のオフラインの友達はほとんど、今まで短歌を「詠んだ」ことがなく、きっと私の作品以外の短歌を「読んだ」ことも少ないと思う。
そんな友達たちに短歌の面白さを伝えたいと思ったのが、flagを書き始めたきっかけだった。
私は自分自身の短歌作品は、けっして読み解くのが難解な部類に入るとは思っていない。
多くに口語体を使用している点だけでなく、言葉の連なりとして意味が不明な (日本語が通じないような)歌にならないようにと思っている。
読み終わって仮に、「でもこの感覚には共感できない」とか「それで、だから?」と思われたとしても、 三十一音の言葉が情報要素として読み手に伝わっていることが前提であってほしい。
それでも、「うーん、この歌、難しいね」と友達に言われることも多い。
はじめは、「難しい」という形容詞が私の短歌に当てはまることにまず驚いた。
思うに、文脈が難しいのではなく、一首から詩的世界を感じ取ることが難しいと思われていたのではないか。
そこから私は、短歌を読んだ自分なりの感想コメントを書こうと思い立ったのだ。
「私はこの歌をこういうふうに読みました」「こんな情景を想像しました」という内容を細かく書くことによって、 短歌の面白さを読み解く際の参考にしてもらいたかった。

そうして綴られたflagだった。
取り上げさせていただいた作者の方々には大きな感謝の気持ちと、私の文章力の至らなさで ご迷惑をおかけしたことに対する謝罪の気持ちをお伝えしたい。
皆様のおかげで、flag[旗]をとても色鮮やかに織ることができました。
どうもありがとうございました。

2005年12月31日

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2005年12月


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