空想の国の女王様

今やこうして大人になった私であるが、いまだに幼稚な空想の世界にひたっている自分に気づいて、愕然とするときがある。
「空想の世界にひたっていること」自体にではなく、そのことをまったく不自然に感じずに生きていることに、だ。

たとえば、先日、リビングのソファに妹とふたりで寝転がっていた。
通常サイズのソファなので、大人がふたり並んで寝そべられるほどの横幅はない。
私たち姉妹は、ぎゅうぎゅうと寄り添いながら、きゃあきゃあ笑い合っていた。
すると、縁の方にいた妹が落っこちそうになった。
私は「危ない!下は毒蛇の川が流れているよっ」と言って、妹の腕を掴んでいた。
ここは日本、一般家庭のリビング。
フローリングに「毒蛇の川」なんて存在しているはずがない。
私はとっさに、いかにも幼稚園児や小学生が空想しそうな「サバイバルアドベンチャー」の物語を設定していたのである。
おそろしい。これは、おそろしい。
社会性を身につけた成人がすべきことではないのだ。

ほかにも、ある日友人の家で、ふと思いついてやっていたひとり遊びの話がある。
両腕を掲げて、グッパッグッパッと手を握ったり開いたりを繰り返す。
「何しているの?」そう友人に聞かれ、「雲に手が届きそうだと思って掴もうと手を伸ばしている子どもの真似」と答えた。
友人曰く「それ、子どもの真似とかじゃなく、あなた自身じゃん」
当時、私は22歳だった。
はたと気づいて、ちょっと泣きそうになった。
知らないうちに空想が日常に根付いていて、自分の幼稚な部分が顔を出していることに、私はまったく無自覚だった。
室内に、雲は浮かんでもいない。

大学時代、4年間継続していた空想習慣がある。
それは、「通学路にある楓の木と挨拶をする」というものだった。
他人様の家の庭に植えてある楓の木の横を通るとき、ブロック塀越しに 「おはよう、今日は寒いね」やら「今日はテストがあるよ。うまく行くように願っていてちょうだいね」やら、 心の中で声をかけるのだ。
そして、葉っぱのひとつを左手の指先でつまんで、「握手」をする。
この一連の行動を、毎朝行っていた。
ある日、たまたま友人のひとりが私の後ろを歩いていて、大学に着いてから 「本当に木と握手、しているんだねぇ」と苦笑いされた。
そのとき初めて、この習慣を私はやっと客観視できたのである。
わあ、これは恥ずかしい。
動植物の擬人化だなんて、どこの女子大生がやっているというのだ!と、うつむいてみても尖ったブーツの先しか見えない。

こう思い起こしてみると、つくづく、短歌を見つけられてよかったと思う。
幼稚な空想癖ではあるが、少なくとも、私の持つポエティカルな要素を構築してくれているのだ。
空想の国の「女王様」とまでは言えないけれど、空想の国の「迷子」であり続ける人生というのも、 悪くはないのではないか、と思えるようになってきた。

2006年2月27日

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2006年02月


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