お菓子が歌になるまで

短歌を詠み始めて、今年で五年目になる。
昨年には短歌結社にも入った。
もういまや、「こんにちは、歌人です」と挨拶してもいいのではないか、と思ってしまうほど、私は短歌に親しんでいると言えるだろう。

しかし、日常の雑多な渦巻きの中にいると、なかなか作歌モードになれないことも多い。
それこそ、締め切りが存在してくれなくては。

そんな「困った歌人」である私が、ではどうやって短歌をつくっているのかと言うと、次の三つに分けられると思う。

@お題を自分の中で設定して詠む
A十首なら十首の連作として、テーマを決めて詠む
B浮かんだ情景やら考えをメモしておいて、それを五七五七七に凝縮していく

この中で、Bを用いたのは一度しかない。
第47回『短歌研究新人賞』への応募作三十首をつくっていたときだ。
当時の私にとって(現在の私にとっても)、三十首はかなりの力仕事になる量だった。
そこで私が取った手法が、Bだった。
そのときのメモが残っている。
そこからできた短歌と一緒にご覧いただきたい。
テーマは「お菓子」である。


・カステラ
正直な人に、卵の香り豊かなカステラをあげよう。 カステラの黄色はひよこの羽毛の色。 羽毛と同じように、感触もふわふわだ。
正直なおじさまおばさま僕ちゃんにひよこカステラ差し上げませう

・バームクーヘン
蜂蜜の香りが辺りに漂う。 断面をあまりじっと見つめ続けると、多分よくないことが起こるだろう。
断面を何度もじっと見つめると不幸になりぬバームクーヘン

・黒糖飴
小さければ小さいほど、細長ければ細長いほど、何か特別なもののように感じる。
黒糖の飴は小さく細長くあなたは今日も哲学ばかり

・杏仁豆腐
私だけが杏仁豆腐を買って食べていた。 これで誰よりも幸せ度は高い。
我だけが杏仁豆腐を食べておりこれで誰より優勢となる

・ティラミス
思った以上に苦くって、もし私がいま五歳児だったら食べられないだろうなと思う。 思った以上に柔らかくて、もし五歳児だったら、多分指を差し入れたくなるだろう。
柔らかなティラミスに指を差し入れて逃げ道はないどこまでも我

・栗のモンブラン
モンブランは王冠だから、本当は中を覗いてはいけない。完璧な造形。
荘厳な王冠であるモンブラン中を覗くと重罪となる

・綿菓子
綿菓子は子どもしか食べてはいけないのだと思っていたが、実際作っているのが大人で安心した。 夏の宵宮。
夏の夜まだ大人ではないことの証明とせし綿菓子の白

・ムース
ブルーベリーのムースから白いビーズでできた指輪が出てきて、それはとても美しい光景だった。
美しやブルーベリーのムースから白いビーズの指輪が出でぬ

・水飴
水飴を白く変化させるのに忙しいので、あなたのお手伝いはできません。 鉛筆ならそこです。
水飴が半透明になるまでの時間わたしは宇宙となりぬ


このような形で三十首を詠んでいったのだった。
読んでいただいてわかるとおり、メモがそのまま歌になっている場合や、ややニュアンスが変えられていたり、まったく別の情景になっていたりする場合もある。

けれど、根っこに流れている感覚や、格好のいい言葉で言うと、「世界を見る眼の角度や高さ」は同じなのだ。

この連作は新人賞候補作に選ばれた。
私は、うれしくて踊り出してしまうほどだった。
そうして踊って、この手法をうっかり落っことしてしまったのかもしれない。
しかし、後悔はない。

そのときの感性のスピード感に最も合っている手法を、きっとその時々で私は選んでいるのだろう。
だから気にせず、踊ったり走ったり、立ち止まったりすればいいのだ。

洋服を着替えても、靴を履き替えても、私には私の、眼がある。

※東奥日報『創作のつぶやき』一部加筆(2006年5月18日付)

2006年5月19日

刺繍針を用意しておいてください

私は、漫画の好きな十六歳だった。
そして、今は漫画の好きな二十六歳で、多分、今後、漫画の好きな三十六歳や六十六歳になっていくだろう。

どのくらい漫画が好きかと言うと、「一生スキップで移動しなくてはいけないのと、 一生漫画を読まれないのと、どちらを選びますか?」と訊かれたら、十秒ほど考えてから 「スキップでお願いします」と答えてしまうくらい、漫画が好きなのだ。
たとえ「スキップさん」と人からあだ名をつけられようとも、漫画を読むためならば、太腿だって鍛える覚悟だ。

そんなに漫画の好きな私であるから、「大好きな漫画家」も、もちろん一人二人ではない。
なので、ここでは「漫画家の名前」に着目して書いてみようと思う。

まずは、萩尾望都(はぎお・もと/代表作『ポーの一族』)
後半のオ音の連続による包み込むような響きと、視覚的に堅固な漢字の並びとの対比が印象的な名前だ。
それが耽美的な作品世界と相まって、名前自体が実に「萩尾望都」している。

次に、吉田戦車(よしだ・せんしゃ/代表作『伝染るんです』)
戦車、である。
これが、「吉田空母」だとか、「吉田戦闘機」であれば、作品から受ける雰囲気もかなり変わっていただろう。
しかも、戦車の持つ硬質なイメージや重量感が、作品に実際影響していない(ように私には見える)のが興味深い。

こうした個性的な筆名(萩尾望都は本名)は、その漫画家の作家性とともに、 読者の頭により印象深くインプットされるのかもしれない。

最後に、私が最も神通力のある四文字熟語だと思っている漫画家の名前を述べておきたい。
それは、手塚治虫(てづか・おさむ)である。
音の響きも画数も、完璧な四文字だと思う。
「手塚治虫」とスカートの裾に金糸銀糸で刺繍しておけば、一万里、私はスキップをし続けられる。
そう、確信している。

※未来2006年5月号『樹海の雫』

2006年5月9日

ダーシャからのレター

私には多分、3つの名前がある。
本名と、佐藤羽美と、もうひとつ、「ダーシャ」という名前だ。

私は、高校は外国語科に進んだ。
中学時代、やたらと英語が得意だったのだ。
わからない文法なんてなかったし、単語のスペルだって難なく覚えることができた。
外国語科ならば、好きな英語をより勉強できる(その当時は、将来英語に携わる職業に就きたいと考えていた)と思った。
さらに、これは入学後に知ったことなのだが、なんと外国語科だと、修学旅行を「語学研修」と称して、一週間、アメリカ合衆国へ行けたのだ。 (ニューヨークとボストンの観光と、メイン州でのホームステイ体験ができた)

そして、外国語科では、第二外国語としてロシア語を学ぶことになっていた。
なぜロシア語なのか、フランス語だとかドイツ語やイタリア語、中国語、青森県からの物理的距離で言えば、韓国語のほうが近しいのに。
私たち学生はそういろいろと不満を持っていたが、初めて触れる言葉の響きを単純に楽しんでいたようにも思う。
ロシア語は、高校卒業後も大学で一年間学んだが、今ではすべてが霞の向こう側だ。
英語にしろロシア語にしろ、結局は語学センスが枯渇してしまい、身につくことはなかった。
中学時代あんなに得意だったはずの英語も、高校で挫折した。
「英語が得意な生徒たち」の中で、私の持っていたちっぽけな優越感はしゅるしゅると萎んでいった。

ダーシャ。
それは、私の「ロシア名」だ。
ロシア語の授業の際、私たち生徒にはそれぞれ、ピョートルやアーリャといった ロシア名が与えられ、授業中はその名前で呼ばれた。
そして私に割り振られたのが「ダーシャ」だった。
親友は「ヴィエーラ」で、都会の女の子みたいな名前だったのに、私は「ダーシャって村の娘みたい。頭に赤いネッカチーフ巻いてそう」とちょっと不服だった。
けれど、友人たちには「いや、君はダーシャっぽい。ダーシャが似合っている」とよく言われていた。
そうして、徐々に私は「ダーシャ」になっていった。
これからの人生で、その名前で呼ばれることは、きっと皆無だろう。
今では、懐かしい愛着すら感じるその名前。

「箸が転がるだけで笑う」とはよく言ったもので、高校生の私たちは、とにかくよく笑っていた。
机を寄せ合ってお弁当を食べたことも、何かささいなことで笑い合い、昼食時間内に食べ切れなかったことも。
卒業近くの開放的な体育の授業で、異常なまでバドミントンに熱中したことも。
暖房ヒーターの上に、時間を見計らって二時限目におにぎりを乗せたことも。
吹雪の中、並んでバス停まで歩いたことも、寒さのあまり途中でホット缶コーヒーを買ったことも。
甦るのは、こうした細やかで、なんてことはない日常の一コマだ。
もっと大きな思い出、それこそ修学旅行だとか文化祭だとか、ケンカしたり仲直りしたり、 失恋してなぐさめてもらったり、そうした思い出よりも、こんな小さな。

「ヴィエーラ」が今月末、結婚式を挙げる。
高校卒業後、離れ離れになって、お互い仕事を始めて、ますます会うことがなくなったけれど。
10年前の私たちは幸せでわがままで、10年後の私たちに笑いかけている。
佐藤ダーシャから、新姓、高橋ヴィエーラへ。

結婚おめでとう。

2006年5月4日

past >>

2006年05月


© Umi Sato All Rights Reserved.