愛するあなたにこの肺を

これまでの27年間の人生で、私は一度もタバコを吸った経験がない。
副流煙以外の煙が、この肺の中に入ったことはないのだ。
きっと、私の肺は健康的なピンク色だろうと想像している。

ある日の夢の中で、私はタバコを吸う習慣を持っていて、それがあまりにリアルだったものだから、 起きてから「あれ、ひょっとして私、タバコを吸ったことあったんだっけ?」と混乱してしまったことがある。
くわえたタバコのフィルターが少し湿った感覚だとか、人差し指と中指の間にしっくりとタバコが収まっている具合だとか、 いっそ懐かしいくらいだった。

しかし、そんなことはありえない。
生粋の不器用さんな私は、「火」を扱うのが苦手だからだ。
まず、石つきのライターを使いこなすことができない。
タイミングを誤れば、爪に火がつくのではないかと怖くて、石を回す動作を思い切れないのだ。
マッチなんか、鬼門中の鬼門だ。
手前に擦るだなんて、もしそのまま勢いがついて引きすぎて、着ている洋服に引火して…と考え始めると、 そうそう勇気がでるものではない。
カチッと押すだけのライターでギリギリだ。
絶対、無人島で生き残ることはできないだろう。

このように、もともとタバコから縁遠かった私であるが、ここ数年で、まったくの「嫌煙家」になった。
佐藤家6人のうち、半数が喫煙者なので、タバコの煙には慣れていたはずなのに、最近はもう煙いの臭いのって。
10m先でも喫煙している人がいると、敏感に臭いを感じ取ってしまう。
喉は痛いし、鼻も痛いし、頭まで痛くなる始末。
喫煙席のある飲食店には行けなくなってしまった。
歩きタバコなんて、言語道断。
もし私に一流レスラー並みの腕力があったら、街路樹のてっぺんにくくりつけてやる!というくらいの思いだ。

ああ、しかし困ったことがひとつある。
これまで好きになった男性はみな、愛煙家だったという事実。
タバコの臭いが苦手なくせに、好きな人のタバコの銘柄だったら平気になってしまう、自分自身のふがいなさにあきれる。

以前、その当時の恋人(もちろん喫煙者)に、「私の肺がいま瞬間移動して、あなたの肺と交換してしまってもいいくらい、 あなたのことが好きだ」と告げたことがある。
私にとっては、最高の口説き文句だったのだけど、その人には苦笑されただけだった。
このきっとピンク色であろう健康な肺が、真っ黒でドロドロがこびりついている肺になるのもいとわない、 という私の深い愛は、紫煙の向こうには届かなかったのだ。
そして。
数ヵ月後の別れ話のときも、彼はタバコを吸っていた。

2007年12月11日

past >>

2007年12月


© Umi Sato All Rights Reserved.