あちらの雲からこちらの雲まで

「雲」のうたは、「雨」「風」に次ぐ、詩歌ワードランキング自然現象部門の上位に入るだろう。
ただ、雨風が音や匂いや触感など、多角的に感覚を刺激するのに対して、雲のうたはその多くを視覚に特化させて詠まれている。
層の薄さ厚さによる色の違いや質感、風にたなびいて変化する形のおもしろさは、様々な連想を促してくれる。

次の一首も、そのような連想の豊かさが現れた歌である。
松井多絵子『えくぼ』より。

二丁目をすぎ三丁目に来しときに子羊雲は眠りていたり

こちらの歌集を読んでいると、ところどころで雲のうたに出くわす。
きっと松井さんは、季節の折々に空を見上げては、ふんわりと微笑むような方なのだと思う。
歌集に収められている雲のうたは、どれも優しい視線で詠われており、そのなかでも、取り上げたこの歌は、格別に可愛らしくて、一読、胸がきゅんとなった。

車窓からであろうか、徒歩であろうか。
街の二丁目から三丁目まで、作中主体についてきた雲がうたた寝をする子羊のように見えた。
羊毛のもこもこ感とともに、羊雲に「子」を付けたことによって、保護者に守られて眠っているという幸福感まで伝わってくる。

また、雲の色に着目して、「白雲」とすると、そこに青春性が生まれるように思う。

制服のわれの頭上に白雲は吹きあがりおり渋谷の空を
                  小島なお『乱反射』

たちの悪い天使のやうな白雲に取り囲まれて泣いてゐる夏
               石川美南『砂の降る教室』

ここでいう白雲とは、入道雲のことだろう。
濃い白色の雲がむくむくと成長していく様子、その背景のあかるい青空、夏の眩しさ。

学校という舞台装置がなくとも、歌のなかには、ゆらめく自尊心と不安感、可能性への高揚と倦怠とが、きらめく青春のひかりとともに満ちているのがわかる。

続いて、雲の持つ暗い危うさが現れた歌を、杉森多佳子『忍冬』より。

夜の空に眠らざる雲流れゆく 次に来るのは死のようなもの

夫の看病をする妻の心のうちを真摯に見つめ続けた連作のうちの一首であるが、一首単位で読んでも、そのひんやりとした感触は強く伝わってくる。

「眠らざる雲」は、日々病院と家とを往復する妻そのものであり、また病室のベッドの上の夫でもある。
そう捉えると、下句がさらに鋭く胸に突き刺さってくる。突き放したような冷静な視線が、孤独感をより鮮やかに浮かび上がらせている。

雲は風に形を変えたり、時には留まったりもするが、いずれは必ず消えてなくなる。
何にも、なくなってしまうのだ。最後に、いじけた性格の私が詠んだ雲のうたを。

最初からむりだったのに 曼陀羅のような雲から垂れる雨水

三頭の一角獣から崩れゆく百合へそれからただの雲へと

百本の腕があったら百本で雲を抱き締め落っこちるべし

※未来2009年10月号『梟の鏡/雲のうた』

短歌に夢中

人生で初めて読んだ歌集は、俵万智さんの『サラダ記念日』だった。
今から七年前、二十二歳のことである。
その春に大学を卒業した私はよく図書館に通っていた。
そこで、何ともなしに手に取ったのが『サラダ記念日』だった。

それまで、「短歌」という詩の形態を特別に意識したことはなかったと思う。
学生時代に授業で触れるくらいで、詩歌そのものにそれほど興味を持っていない、はずだった。

それはまさに、開眼であった。
三十一音の中に、鮮やかな情景が、細やかな心の動きが、物語が、再生されていたのだ。
私の知らなかった表現の世界がそこにあった。

その日のうちに、書架にあった俵さんの歌集を全部借りてきて、むさぼるように読んだ。
そうしているうちに、何かの衝動に突き動かされるように、それらの短歌をノートに書き写していった。
その時はまだ、「私も短歌を詠みたい」とは思っていなかった。
気に入ったのなら、歌集を買えば済む話なのに、なぜか自分の手で書かずにはいられなかったのだ。

今振り返ると、書き写しながら、短歌特有の言い回しや韻律を学んでいったのだと思う。
それから、自分の内側からどんどんと歌が沁み出してきた。

とにかく、夢中だった。
夢中になって歌をつくる中で、幸運にも加藤治郎という、歌人としてこうありたいと願う理想の師に巡りあうことができた。

そんなある時、結社の先輩に「佐藤さんの表現したいことには、短歌よりも自由詩のほうが適しているのではないか」と言われたことがあった。
その時はとてもショックを受けて、お願いですから、私から短歌を取らないでください、という気持ちになった。

短歌と出会うことによって初めて、現実を見ているこの目とは違う目を持つことができた。
私には五七五七七というサイズがちょうどよく、それ以外の服は窮屈だったりぶかぶかだったりするのだ。
大げさな言い方になってしまうが、短歌という表現方法は私の人生にとって、何にも替えがたいものなのだと、今改めて実感している。

短歌を詠み始めて、七年。
変わらず、私は短歌に夢中である。

※短歌新聞2009年10月号『新人立論』

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2009年10月


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