012:裸足

[8535]芳井奏さん

生きたいと叫ぶ裸足の君がいて君に見とれる僕がいるだけ

叫んでいる「君」と、君に見とれている「僕」は、心のベクトルの向きが大きく違っているようです。
「生きたい」という欲求は、極めて原始的で根源的なもの。
その気持ちを叫ぶというのは、精神状態がかなり高揚していなくてはできないことだと思います。
一方「僕」は、うっとりと「君」を見つめている。
熱さという面で同じだとしても、その熱の種類は異なっています。
ふたりしかいない空間で、それぞれがまったく違う方向にエネルギーを放っている様子は、どこかおかしみまでも感じさせます。

 

[7344]都築直子さん

簡潔に裸足のあしで駆けあがり猫はバルコニーよりわれを見下ろす

映画の一場面の、ほんの些細な情景を見ているような気持ちになりました。
確かに、猫の身のこなしは「簡潔に」という形容詞が最適ですね。
そして「裸足のあし」と言われたときの、少しの驚き。
裸足と聞けば、どうしても人間の足ばかりを思い浮かべてしまいますが、 あんなに「簡潔に」バルコニーを駆け上がっていく猫だって、裸足なのです。
上句までは、猫が駆け上がる様を見ている人間の視点で。
下句からは、「われ」を見下ろしている猫の視点で。
一首の中で視点の転換が見られると思います。

 

[6483]杉山理紀さん

何を履いても裸足のようでくちびるを押しあてられて沈む太陽

「何を履いても裸足のよう」とは、感受性の豊かな表現だと思います。
靴を履いていても自分の足のつま先にまで、きちんと神経が渡ってしまっている感覚。
それは孤独感を表しているようにも感じます。
きっと、恋人の熱い「くちびるを押しあてられて」も、どこか孤独に寂しいのです。
「沈む太陽」とは、そんな作中主体そのものなのではないでしょうか。

 

[6821]田丸まひるさん

SOS! きみの裸足をかじらなきゃよじれて死んでしまいそうなり

「〜なり」という語尾が、藤子不二雄マンガの『キテレツ大百科』のコロ助を思わせて、その愛らしさに思わず引き止められた一首。
「裸足をかじらなきゃよじれて死んでしま」う、なんてどんな状況なのでしょう。それはもう、 SOSを出すほどの緊急なもの。
よじれて死んでしまうくらい、「きみ」を好きだという愛情表現の、極端だけれど、 本人にとっては切迫した気持ちの吐露が、この一首なのだと思います。

 

[4840]ハルさん

ゆらめいて、きらめいて波、初夏(はつなつ)の小石と裸足を洗っていく

このお題では、まるで映画のワンシーンのような短歌が見られました。
こちらの一首も、頭の中に鮮やかに映像が呼び起こされます。
映像(視覚)だけでなく、初夏の海のさざなみ(聴覚)や風の匂い(嗅覚)、手についた砂の感触(触覚)までも感じます。
一首を声に出して読んだときのリズムが、波の穏やかなリズムを思わせて心地よいです。
洗われたい何かがあって、作中主体は海へと出かけたのでしょうか。

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