020:遊

[19228]五十嵐仁美さん

雪の夜の遊園地ではひっそりと始まっているひかりの産卵

幻想的なある夜の出来事。
冬の閉ざされた遊園地は、まるで眠っているように静かだけれど、そこには誰も知らない風景が広がっているのです。
それは、「ひっそりと」人々の気づかぬ間に「始まっている」、数多のほのかに光る「卵」たち。
あの夏の夜に見たパレードのイルミネーションのような、色彩豊かな「ひかりの卵」を想像しました。
映像作品として観てみたい世界です。

 

[11949]宮沢美々さん

遊園地のアトラクションを待つようにふたり並んでいついつまでも

はじめ、アトラクションを延々待っているときの苛立ちを思い起こしてしまったのですが、 結句まで読んで印象ががらりと変わった一首です。
「ふたり並んでいついつまでも」
リズミカルで愛唱性の高い下句で、結句がとても可愛らしい。
私は恋愛の歌だと捉えました。
恋する「ふたり」にとって、アトラクションを待っている時間もまた、おしゃべりをしたり、 お互いを見つめ合ったりする、楽しい一時なのでしょう。

 

[11920]氏橋奈津子さん

ひるま遊んだラブラドールもなつかしい岸辺のゆめをみるよ、ばいばい

もう私は犬がとてもとても好きで、ラブラドールも大好きな犬種だ。
夢を見ているのかな、眠っていながら、まるで駆けているように足を動かしている様子なんて、想像するだけで心がほわほわする。
そんな犬好きの贔屓目を抜きにしても、この一首は優しく魅力的です。
「なつかしい岸辺のゆめ」という言葉からは、叙情的で美しい映画のワンシーンを見ているような感覚を受けます。
作者も同じ犬好きさんでなくては、最後、これほど優しい「ばいばい」は言えないでしょう。

 

[11395]村上きわみさん

よくできた遊具のようなものだからもっとわたしを漕いでください

性愛の歌でしょうか。
「よくできた遊具」という比喩も、「わたしを漕いでください」という願望も、ストレートな性愛の表現のように感じられました。
少し自虐的な嗜好も見て取れるかもしれません。
「漕ぐ」という単語から、脚や腕の屈折動作や、関節そのものを喚起されます。
メカニカルな身体性と狂気とが入り混じった一首になっています。

 

[2731]南野耕平さん

テノヒラに光と水を遊ばせて春の少女は裸足で踊る

綺麗な水彩絵画のような世界。明るい光に満ちた一首です。
「春の少女」はまさしく、春そのものの象徴であり、妖精のような神秘さを感じます。
また、「テノヒラ」というカタカナの表記が、光と水の形態や感触、明度をよく表しています。
「ひらがなは柔らかさを、カタカナは透明感を表現することができる」と、どこかで誰かが言っているのを読んだことがあるのですが、 この作品はその透明感を光や水ではなく、「手の平」で用いたところが独創的だと思います。

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