032:薬

[24642]久慈八幡さん

朝焼けと木々と水面のあいだには瑠璃光の薬師如来がおり

私はこの歌に出会うまで、薬師如来が別名「薬師瑠璃光如来」だということを知らなかったのですが、 知らなくとも、それぞれの単語のイメージが調和の取れた美しさを持っているように感じました。
瑠璃色の光に包まれた、薬師如来のありがたいお姿を想像します。
「朝焼け」「木々」「水面」…
それらはいわば、自然の象徴なのではないでしょうか。
私たちを取り巻く不変の自然。
そういうところにこそ如来はいらっしゃるのだ、という信仰の心を映した一首だと思います。

 

[22414]かいりさん

のどをあらう薬のにおいいつだってかなしいことをかんがえるとき

その切なさには「美しさ」があるような気がします。
それは、「薬」以外の言葉がすべてひらがな表記であることから感じられる感覚なのかもしれません。
「かなしいとき」ではなく、「かなしいことをかんがえるとき」であることも重要なのではないでしょうか。
過去にあった、かなしい出来事を思い出してしまったとき。
「のどをあらう薬」の清潔感や色や殺菌性、そして匂いは、 作中主体にとって痛々しいものではないけれど、決して優しいものでもないのだと思います。

 

[19067] 加藤苑三さん

なだらかな杏仁豆腐の表面のたぶんあそこが眠れる薬。

「眠れる薬」とは作中主体にとって、滑らかで甘やかな幸せの薬なのでしょうか。
もし今まさに杏仁豆腐を食べようとしている隣で、誰かにこう言われたとしたら、 きっと、そーっとその「表面の」あそこを掬って口に運ぶのだろうなと想像しました。
でも多分、そこは本物の「眠れる薬」ではなくて、隣でそうささやいた誰かだってきっともう、 その真実を知っているのだ、という気がします。

 

[18380]なかはられいこさん

粉薬のむとき上を向く顎にダンディライオン触れておくれよ

タンポポを「ダンディライオン」と言ったとき、やはりそこには視覚的・聴覚的イメージの差異が見られます。
可愛らしい春の庭のような一首。
ダンディライオン「で」触れておくれと言っているのではなく、擬人化したダンディライオンに向かって 「触れておくれよ」と投げかけているような感覚を受けました。
焦点が置かれているのは、粉薬を飲むということよりも、「顎」なのだと思います。
頬でも額でもない、顎にダンディライオンがそっと触れる、 その柔らかな情景は、まるで児童絵本のようです。

 

[9795]篠田美也さん

薬指の爪だけあをく青くぬり風にかざせばふるへる五月

「どこで」風にかざしているのかという場所は書かれていないのですが、私は五月の晴れた日の草原をイメージしました。
「なぜ」薬指の爪だけに、しかも青色のマニキュアを塗ったのか。
明白な答えを示すのではなく、草原かどこかに吹く風の音や匂いを感じさせてくれるところが、この一首の魅力だと思います。
「あをく青く」の繰り返しもイメージの強化に繋がっています。
この青の提示によって、私は草原を想像したのかもしれません。
風も草も爪も青く、ふるえているのは指先と心。
「五月」という選択も、青色のイメージによく合っているように思います。 

<<                                      >>

001    011
002    012
003    013
004    014
005    015
006    016
007    017
008    018
009    019
010    020

021    031
022    032
023    033
024    034
025    035
026    036
027    037
028    038
029    039
030    040

041    051
042    052
043    053
044    054
045    055
046    056
047    057
048    058
049    059
050    060

061    071
062    072
063    073
064    074
065    075
066    076
067    077
068    078
069    079
070    080

081    091
082    092
083    093
084    094
085    095
086    096
087    097
088    098
089    099
090    100

back


© Umi Sato All Rights Reserved.