040:ねずみ

[20323]加藤苑三さん

なぜかしらみんなの愛だけねずみ算式にふえていくようなのです。

口語調も軽やかな可愛らしい一首。
増えていくのは「みんなの愛だけ」で、「わたしの愛」はちっともそうじゃないのですね。
はじめ読んだときは単に、可愛い歌だなと思ったのですが、 「ねずみ算式」が最後には結局破綻するシステムだということを思うと、実はシニカルな歌に思えてきました。
「みんなの愛」はいずれ破綻を迎えて、けれど「わたしの愛」だけは、ということなのかもしれません。

 

[15250]emiさん

さよならとねずみいろだけぬきとったようなこえしてさよならという

すべてがひらがなという表記形式が、言葉の視覚的な柔らかさを生み出しながら、一首の異空間性を強化しています。
「ねずみいろだけぬきとったようなこえ」とは、一体、どのような声なのでしょうか。
赤色でも青色でも白でも黒でもない、ねずみ色。
その存在感の曖昧さ。
「さよならという」ときの(言われるときの)心情を表している色なのだと思います。
初句と結句とに二度現れる「さよなら」という語が効果的に、読み手の心に響いてきます。

 

[14750]田丸まひるさん

わたしにも夢と希望をふりかざす赤いズボンのねずみが踊る

我らが無敵のスーパーアイドル、ミッキーマウスの登場です。
「夢と希望」という明るい語句に反する、「ふりかざす」という暴力的な動詞の選択。
ミッキーを「赤いズボンのねずみ」と匿名性を持って表現すること自体、非常にアイロニカルです。
「夢と希望」が実存し、それを人から与えてもらえるなんていうのは幻想なのだ、と言われているような気がしました。

 

[14572]池まさよさん

野ねずみのぐりとぐらだけ知っている私の夢と絶望のこと

「ぐりとぐら」の音のリズムや響きが楽しく、短歌に詠み込むにはとても魅力的なキャラクター名だと思います。
彼らが、作中主体の「夢と絶望」という正反対の事柄のどちらも知っているという。
いや、彼ら「だけ」が。
誰かに自分の夢も絶望も理解してもらいたいという、作中主体の願望なのだと思います。
けれどその相手は、空想上の物語のキャラクターで、しかも野ねずみ。
実際には、誰も知っていてはくれないのです。

 

[10226]如月佳さん

銀ねずみ色の朝なら哀しみに追ひつかれてもまぶしすぎない

「〜の朝なら」→「まぶしすぎない」ということは、他の朝ならまぶしすぎるほどにまぶしいということか。
哀しみに追いつかれると、人はまぶしさを覚えるという。
その世界設定に惹かれました。
まぶしいという言葉は、銀ねずみ色からイメージされたものでしょうか。
ねずみ色の朝ならば、どんよりとした天気と沈んだ気分を思わせますが、銀ねずみ色と言えば、どこか明るさや希望を感じさせます。

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