047:機械

[15363]村上きわみさん

おとうとの機械のようによく動く舌や手足をめでる真夏日

弟へのどこか危うい倒錯的な愛情を感じさせます。
それには、「真夏日」という季節の選択も影響しているでしょう。
「おとうと」とひらがなで表記したことによって、彼の「よく動く舌や手足」の柔らかさを想像させるだけではなく、 自己が確立していない様子=「機械」としての弟を表現しているようにも思います。

 

[6489]桐嶋清雅さん

何もかも機械仕掛けの木曜に君だけは血を流して生きる

「機械仕掛けの木曜」という表現が興味深いです。
他の曜日とは違う、不自然な木曜日。
それを「機械仕掛け」という言葉で切り取る感性の素晴らしさ。
ただ、機械の反対の概念として、下句「血を流して」を提示したのは、少し安直な気がしました。

 

[8318]杉山理紀さん

機械油にまみれてひどくなめらかな汚い言葉が綺麗なおまえ

「ひどく」「なめらか」「汚い」「綺麗」
イメージが逆の語句が次々と重なることによって、読み手の感情が揺さぶられます。
そしてこのすべての語句が、「機械油にまみれて」いるような感覚。
言葉のイメージがうねりながら、結句「綺麗なおまえ」へと集約していきます。
矛盾をはらんだ、作中主体の「おまえ」への気持ちが、そのまま言葉となって一首を形成しているように感じられます。

 

[9618]我妻俊樹さん

ただれてる草 ひびわれた道 きみは機械のとまる音でめざめた

童話の挿絵を見ているような空気感。
機械の止まる音で目覚める…それがどういう状態なのかは計りかねますが、この一首は意味ではなく、 その空気感を読み取るべき歌なのだと思います。
句またがりが多用されているのですが、57577の定型は堅実に守られています。
名詞が重なることによって、イメージが次々に喚起される効果が出ていて、私はこうした短歌が好きです。
頭の中には荒涼とした、けれど決して恐ろしかったり寂しかったりはしない草原が広がります

 

[10806]佐藤理江さん

道具でも機械でもなく家にゐて場合によつて家族にされる

これは、ドラえもんのことでしょうか。
私はもうすっかりそう思い込んでいるのですが。
「場合によつて」の突き放した言い方が、この一首の魅力です。
批判的なのは、何に対してか。
「家族にされる」のは不本意なことなのか。
深く読もうと思えば、いくらでも深く多角的に(例えば、主婦の存在を詠んだジェンダーの歌だとか) 捉えることができると思います。
私は瞬間、ドラえもんやドラ焼きや押入れのふすまを思い浮かべてしまったのですが。

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