067:ビデオ

[22181]加藤苑三さん

詩人ってビデオ録画ができなくて、喧嘩っ早い人かと思った。

今回のお題の中で、一番印象に残る一首でした。
職種に限定しても、ステレオタイプというのは厳然と存在しているわけで、 私も「詩人」はそういう人たちなのだと思っているふしがあります。
機械に弱くなくては困る、と願っているのかもしれません。
押しつけがましい身勝手な「理想像」と言えますね。
ここでは、「ビデオ録画ができない」「喧嘩っ早い」という二点の切り取りが秀逸です。
句読点があることによって、短歌と散文との距離を考えさせる一首にもなっていると思います。

 

[16873]伊勢谷小枝子さん

寿命分程度のビデオをとったから死ぬまで生きる要因はある

私はよくやっています、録画溜め。
観たい番組を録画するだけ録画して、結局観ずに積まれていくビデオテープの山。
家族に叱られると、「老後の楽しみに取っているのだ」と反論している二十代半ばです。
なので、この一首には深く共感するところがありました。
「死ぬまで生きる要因」は、本当はきっと他にももっとたくさんあって、 その中には愛情だとか哲学だとか、「ビデオ鑑賞」よりも重大な(と思われている)ものもあるはずです。
人生の展望台から見ると些末とも言える事柄を、意思的な生死の拠りどころとしている。
そのずれた部分に、読み手は詩性を見るのだと思います。

 

[16561]田丸まひるさん

場違いな台詞ばかりをくりかえすビデオ ふたりは葡萄をつぶす

一字空けの前後で、場面が転換していると捉えました。
「場違いな〜くりかえす」までは、ビデオに収められている映像の中の物語。
一方、「ふたり」というのはそのビデオを観ている側(=作中主体と、その恋人?)を表しているように思います。
「場違いな台詞」を繰り返すことと、葡萄を食べずに潰しているという行為が、 場面設定の枠を越えてリンクしているところが、この一首の面白さになっているのではないでしょうか。

 

[10756]五十嵐きよみさん

飽きるまでビデオを再生して過ごす休暇 なんにも解決しない

本当に「なんにも解決しない」感が、一首全体に漂っています。
自分の生活において、早急に解決しなくてはならない問題があるわけではないけれど、ふとある瞬間、何かを解決すべきだとも強く思う。
他にすることがなく「飽きるまで」ビデオを観ているような休暇には、特にそう感じるのかもしれません。
一字空けが効果的に作用して、思わずひとりごちてしまったような台詞(=結句)を導いています。

 

[13596]阿部定一郎さん

巻き戻し>>停止□再生>早送り>>神のつもりでビデオをいじる

表記の仕方が面白いですね。本当に、このままリモコン。
リモコンを操作することによって、まるで時間をコントロールしているような気分になります。
ビデオテープの中だけの世界の時間だとしても。
それを「神のつもりで」と表したのが、言い得て妙。
ただ、実際にいじっているのは、ビデオじゃなくてリモコンなのでは?
リモコンを使って何かの動きを操作することの、改めて考えてみたところの不可思議さ。
それを示しているのが、この一首の面白さなのだと思います。

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