094:遠

[26026]久野はすみさん

文体の定まらぬまま書き出せばはるか遠くに鯨がひかる

自分自身と、まったく別の次元にいるようなもの(ここでいう「鯨」) との距離感を詩性として詠う短歌の一首だと言ってもいいと思います。
自らで「文体」を意識して書いている(手紙でしょうか)というのが、まずひとつのポイント。
「文体」は、作中主体の心の象徴なのかもしれません。
作中主体の手元にある手紙か何かと、「はるか遠く」で背中を光らせている「鯨」―
読み手が、そのふたつを線で結ぼうとすることによって、歌が完成するのだと思います。

 

[24878]西橋美保さん

羽化しない蝶の蛹を埋めに行く火星の運河はたぶん遠い

上句と下句のイメージの飛躍に惹かれました。
「蝶の蛹」と「火星の運河」、不思議な組み合わせです。
しかし、羽化しない蛹も、水の枯れ果てた火星の運河も、失われた生命という点で共通しています。
作中主体が実際に火星へたどり着くことができないのと同じように、蝶の蛹も手で触れる物として実在はしていないように思います。
例えばそれを「叶わなかった恋」の象徴と捉えると、一首の印象がまた違ったものに見えてきます。

 

[24359]岡村知昭さん

ごわごわのシャツ脱ぎ捨てて遠野市のひたすら黒き猫を抱える

岩手県遠野市は、柳田国男(民俗学者)が著した『遠野物語』でも有名な地です。
オシラ様伝承や河童伝説もよく知られています。
そのような背景があるからこそ、この一首の中の「黒き猫」が活きてくるのです。
それも、「ひたすら抱きかかえる」のだという。
何か強迫観念めいたものを感じさせます。
初句「ごわごわのシャツ」は、何を意味するのか。
とても示唆深い言葉だと思います。

 

[23451]ひぐらしひなつさん

振り向けば遠いひかりに撓みつつバス停は立つ春のさなかに

美しく、どこかノスタルジーを感じさせる歌です。
言葉の運び方が巧みで、短歌としての完成度が高いと思います。
過ぎ去ってしまった思い出を「振り向いて」見ているような感覚を受けました。
もう「春のさなかに」立っていたあのバス停は存在していないのではないか、と。
「たわむ(撓みつつ)」という動詞の選択もいいですね。
遠いひかり自体が、幻想であることの印のように感じさせる動詞だと思います。

 

[24443]加藤苑三さん

そんなにも夢に出てくるつもりなら遠隔操作してみるがいい

これは恋愛の歌だと捉えました。
彼(彼女)に何度も夢に出てこられて、困ってしまうくらい好きになっている状態なのかなと思いました。
なので、結句「してみるがいい」という口調と、実際の作中主体の心との間にギャップが感じられて、 それがとても可愛らしく感じました。
むしろいっそ、「遠隔操作」されたいのかなぁとも。
自分自身の気持ちを持て余してしまうくらい、恋愛とはときに強大な力を持っているのです。

<<                                      >>

001    011
002    012
003    013
004    014
005    015
006    016
007    017
008    018
009    019
010    020

021    031
022    032
023    033
024    034
025    035
026    036
027    037
028    038
029    039
030    040

041    051
042    052
043    053
044    054
045    055
046    056
047    057
048    058
049    059
050    060

061    071
062    072
063    073
064    074
065    075
066    076
067    077
068    078
069    079
070    080

081    091
082    092
083    093
084    094
085    095
086    096
087    097
088    098
089    099
090    100

back


© Umi Sato All Rights Reserved.