098:溺

[24562]岩崎一恵さん

薄き陽のひかりしずかにさざめかせ溺れるように飛ぶシジミチョウ

空気の中で溺れる、という表現は他の投稿歌でもいくつか見られましたが、この一首では情景の立ち上がり方が鮮やかで惹かれました。
浮いたり沈んだりを繰り返しながら飛ぶシジミチョウが、読み手の目の前にも出現します。
陽の光自体を「さざめかせ」るという表現が、「溺れる」へスムーズに繋がっていると思います。
モンシロチョウでもアゲハチョウでもなく、「シジミチョウ」という選択も、一首の世界観を構築する要素になっています。

 

[23890]石川美南さん

手招きと「あつちへゆけ」を繰り返すすすきのはらで溺れてゐたり

ススキ野原で風にそよぐススキの群が、まるで手を動かしているように見えたという情景を詠った一首。
「こっちへおいで」と手招きをされた次の瞬間には、「あっちへゆけ」と追い払われてしまう。
その繰り返しに、作中主体は心を奪われてしまったのでしょう。
黄土色のカサカサと乾いたススキの穂の波で溺れることを望んで、ススキ野原の真ん中で立ちつくしている様子を思い浮かべます。

 

[23770]村上きわみさん

うっすらと血のついている犬の歯をおまもりにして溺れにゆくよ

その発想の独創性。
村上さんは、性別や年齢などすべての交差点に立って歌をつくっているような、そんな印象を受けます。
こちらの一首は、作中主体とこの犬との関係や、「溺れにゆく」という行動の真意を読み手に想像させます。
求心力になっているのは、やはり「犬の歯」でしょう。
ディティールの説明(「うっすらと血のついている」)も、最適な言葉と分量であるように思います。

 

[26083]久野はすみさん

うすいうすい皮膜を溺れさせているホットミルクに匙をさしこみ

ホットミルクの表面にできる膜を「皮膜」と表現し、さらにそれを「溺れさせる」という。
「皮膜」を何か・誰かに見立てているのでしょうか。
私は、ホットミルクは体だけでなく、心をも暖かくしてくれる飲み物だと信じているのですが、 作中主体はその暖かさの裏側にある部分を見つめているようです。
「膜」「溺」「匙」という、画数の多い漢字が一首に挿し込まれることにより、視覚的リズムを生み出していると思います。

 

[26266]紅茶さん

深く深く溺れてしまう夢を見た。いつもと違うシーツの所為だ。

作中主体は目が覚めてからもまだ、頭も体も夢の続きにいる(水の中にいる)ような、そんな感覚でいるのではないでしょうか。
「深く深く溺れてしまう」状態は様々に解釈できると思いますが、結句の「シーツ」からも、そこには官能性を見い出すことができます。
水そのものがエロスを表すもの。
「溺れてしまう」ことを負のイメージではなく、窒息するほどの悦楽に自分自身を解放しているという意味に私は捉えました。

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