堀恵作品(平成28年度)

夏の駅 待合室でその膝にのせる人まつ椅子の夕暮れ

【評】
駅の待合室の椅子を擬人化して主役とした一首。
初句から第四句までの描写を「謎」として、結句でその謎解きをするという構成が巧い。
映画のストップモーションのように時間は止まり、夏の夕日が窓から差し込むだけの閉じられた待合室があるのみで、そこでは作者の気配すら失われているようだ。

 

真夜中にサランラップを引き出せば湖面のごとく艶めいており

【評】
何気ない日常のふとした瞬間に詩情を見出している。
皿にサランラップをかぶせようとする、ごくありふれた情景であるが、「湖面のごとく」という比喩によって、世界が妖しく一変した。
台所から遥か遠く、真夜中の湖の静寂へと視点を飛躍させることによって、一首に奥行きが生まれた。

 

雪上に靴底の模様うつくしく遺す人いる図書館の前

【評】
きっと新雪なのだろう。
冬靴の靴底の模様というのは、確かに幾何学的であったり、紋章のようでもあると思い出させてくれる。
「遺す」という漢字の選択や、「図書館の前」という舞台の設定により、単なる靴底の型が、まるで考古学の遺跡のような感覚を覚えて興味深い。


 


堀恵自選三十首

水たまり擦り傷のごと周りから小さく浅く干されてゆけり

木蓮の枝に鳥らの白き胸 翼ひらけば花びらとなり

霧雲の羽につつまれ微睡める卵のような山間の村

外来種 豪雨のように花咲かせ黄色い波に溺れる霊園

六月に心を訪うもののためそのひと部屋に椅子ひとつ置く

夏草の陰に朽ちゆく自転車の立ちのぼるその命の気配

ゆうゆうと空を飛び交う鳥たちは街に巨きな影を曳き 夏至

永遠に夏の蝶として顕れて野を越えてくる幼年の日々

あの夏のバスであなたに知らされし反魂草といううつくしき名

夏の駅 待合室でその膝にのせる人まつ椅子の夕暮れ

種子包む果肉を厚く甘くして獣に託す桃の繁栄

落としもの拾うがごとく茗荷摘むひとつひとつに夏の情景

絡みあう根のほそきにも水めぐり豆苗の明日の確かなること

浴室の床に描かれた水の地図 大陸も島も微睡んでおり

系統樹 幹の別れに何があり今も枝葉の空に伸ばすか

飼い主の呼びかけに耳貸さぬ猫 声はときおり風に似るらし

真夜中にサランラップを引き出せば湖面のごとく艶めいており

うたう声とぎれとぎれで歌よりも届いたものは風の形振り

車窓からとび込む景色の一瞬に芒の姿でこちら見るもの

背表紙は書名をその背に負っていて倒れまいとする一本の幹

空のその奥の空まで開かれてスーパームーン深夜に浮かぶ

鳥なのか枯れ葉なのかと目を凝らす内なる荒地をかけ廻るもの

残像の連なりのごと雪はふる眼裏に冬の空 畳まれて

歳末の鴉のやすむ鉄塔のそこより上は鳥の領空

元日の扉にかかるしめ縄が表通りを静かに見張る

雪上に靴底の模様うつくしく遺す人いる図書館の前

渡された釣り銭この手に受けるときこの掌は小さなプラットホーム

薄闇に足を踏みいれ銀幕の深い呼吸にゆるりと沈む

雪室に眠る林檎は秋の日のレンズのような鮮度のままで

北の地の春ふる雨の懐かしく芽吹きのころの樹となるわれは

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